ファッションにおけるコピー商品がもたらす問題点 1:一着の価値が薄れていることの弊害 | 伝統技術を現代のライフスタイルに合わせて発信するプロジェクト  ”ARLNATA” アルルナータ ディレクターの独り言

伝統技術を現代のライフスタイルに合わせて発信するプロジェクト  ”ARLNATA” アルルナータ ディレクターの独り言

約11年に渡るヨーロッパの様々なステージのラグジュアリーブランドを経て日本に帰国し、衰退産業とも言われている日本の伝統技術を今の形で発信するためのプロジェクト”ARLNATA”アルルナータを主催しているディレクターの独り言です。
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 数日前にfashionsnap.comに次の様な記事が紹介されていました。

セレクトショップのコピー商品問題に思う
http://www.fashionsnap.com/the-posts/2014-12-04/copy/


  Facebook等でもシェアされていたので、もう読まれた方も多いかもしれません。ファッション製品のコピーの問題です。これに関しては決して今に始まった話ではなく、随分と昔からあったと思いますが、昔はコピー商品はコピー商品だけを扱っているお店やそういった場所があったものです。公にはコピー商品販売最店とはもちろん出してはいないものの、そこにいけばコピー商品が手に入る、、、といったような暗黙の了解があったものです。が、最近はファストファッションが浸透したお陰なのかコピー(もしくは編集と言った方が正確か)をするということに対しての罪悪感が薄まって来ている様で、記事に書かれている様にオリジナルの商品を輸入して販売していた店がその商品を独自にコピーして安価で販売すると言った様に堂々と行われる様になったことが問題視されています。コピーをする側からすれば、簡単にコピーされる様なものを作っているのが悪いとか、もっと安く作れるのにそんな高い値段設定だから仕方ないだとか、若干の変更を加えているからコピーではないとか、色々言い分けはあるのかもしれません。デザインする側に対してもコピーされる様になったら一人前だ、などとさえ言われたりもします。新人のデザイナーからすれば自分の商品がコピーされる様になったら、それはそれでなんだか自分の実力が認められた様な、嬉しくなる様な気持ちがあるのも事実だと思います(といっても最初だけでしょうが)。それくらいファッションにおけるコピー行為は半ば認められているかの様にも見えます。確かにコピーしたい気持ちにさせる様な商品にはまず商品として魅力があるからでしょうし、学生の頃などに、自分が好きになった作品の様なものを自分の手で実現させてみたい!と言う純粋な好奇心から勉強のため、経験のためにコピーをしたりすることもよくあります(この場合は販売する目的ではないので全く問題はありませんが模倣から色々な事を学んで行くため、良い事だとさえ僕は思っています)。


 モノを作る、特にデザインを全面に売り出している商品の場合、“デザインする”という目に見えない行為にかかる時間や労力が間違いなく製品の価格に反映されるため、当然コピー商品より価格は高くなります。ですからその労力を単に横取りして安い値段で販売するというコピー行為は個人的には断固反対の立場ではあるものの、それでもコピーをしなければならない様な境遇にあるという事はそれなりの理由があるからでしょうし、したいのであればすればいいし、しなければならないのならするしかないのでしょう。人それぞれ、会社それぞれに事情がある訳ですからそれを僕自身が個別にとやかく言おうとは思いません。ただし、全くのファッション部外者が金儲けだけのためにコピー商品を作って売るのであれば1000歩譲って許すにしても(そういう人が世の中に存在するのは理解できるので)、記事中にある様な曲がりなりにもファッションのプロとしてのお店がコピーをするという現実はいかがなものなのかと思わざるを得ません。色々なブランドを扱っている店の関係者のほとんどは、昔はファッションに夢を持っていた学生だったはずです。そんな人達が今自分自身が他人のコピーをしてお金を稼いでいるという事実に対して何も思わないのかと思うのです。学生の頃、みんなデザイナーになりたいとかスタイリストになりたいとか夢を持っていたのではないでしょうか?それが、色々な事情があるにせよ例え現実を知ったからといって、コピーで生計を立てる様になったというのではなんだか悲しい話ではありませんか。


 とはいうものの、現在のファッションの問題として堂々とコピー商品が表に出る様になったという事は、そういったコピーをしやすくさせている状況に根本的な問題があるのは間違いありません。例えると、赤信号をみんなが守っている地域では信号無視をあえてしようという人も少ないでしょうが 、信号があってもあまり遵守されていない地域ではたとえ法律違反とわかっていても無視する人が当たり前の様にいることと同じです。つまり世の中に出回る情報・製品の数が多すぎるという状況がまず一つの理由として挙げられると思います。これではプロでもオリジナルかコピーかを分別するのが大変なのに、一般の人が区別できる訳がありません。最近はシーズン性もプレコレクションやリゾートコレクションなるものによって何がなんだか分からなくなって来ていますし、一品一品の価値が薄まっているということは間違いなくあると思います。そうなると、何がなんだかわからなくなってその結果、「今のファッションはつまらなくなった」とあちらこちらで聞く様になりました。一品一品の価値が薄まるということは高級品と低級品の差異も低くなって来たということにもつながり、そういった流れが最近はブランドの名前にこだわる事も無くなって来た(とfashionsnapのどこかには書かれていましたね)という事につながっているのだと思います。しかし、本当に今のファッションはつまらないのでしょうか?確かにメンズは若干そういう思いが個人的にしなくもないですが、メンズのファッションは世の中の一般的な捉え方としてレディスほど面白さ、ワクワク感(変化)を求めていないので、仕方ないのかもしれませんが、レディスに関して言うと、僕は全く“つまらなくなった”とは全く思いません。たまに色々な所に出かけて直接見に行くと、そこそこの頻度ですごく素敵な商品に出会います。自分がもし女性だったら欲しいな!と思う様な素敵な服が。僕は正確には“つまらなくなった”のではなく、“つまらないかの様な雰囲気になっただけ”の間違いだと思うのです。


 次回に続けます。



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