人は「居場所」を求める。
自分が納得できる場所、心地良く感じられる場所。
地理的な話ではない。
社会的立ち位置、取り巻く環境など、そういった生きる上でのポジショニングの話である。
良い「居場所」を見つけられた人は、安寧と充実を感じながら、生きて行ける。
しかし、「居場所」は不変のものではない。
世情は、変化を構成要素としているかの如く移ろい、
己を取り巻く環境は、予想を上回る変化をみせる。
そのような中、心地良かったはずの「居場所」が、「カゴ」に変化する事がある。
他者からすれば、それほどではないように見えても、自分としてはそのように感じてしまう時がある。
一度そのような心地になると、日を追うごとに「カゴ」は狭まり、格子の隙間は小さくなる
・・・・ように感じる。
そんな時。
さて、どうするか?
と考える。
自身を「カゴ」に合うよう小さくするか。
何とかして、この「カゴ」を、元の心地良い「居場所」に戻すか。
それとも、「カゴ」を脱して、別の心地良い「居場所」を探すか。
正解は特にない。
自分で考え、行動し、その結果を自分のものとして受けとめる。
それだけを揺るぎないものとしていれば、不正解は無い。
ただ、これだけは言える。
「カゴ」と見えているものは、窓もない牢獄ではない。
追い詰められた自身の思考が「カゴ」を檻の如く見せているのである。
「カゴ」は常に何処かが開いている。
旺龍堂代表 小幡良祐
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