人は「居場所」を求める。

               

自分が納得できる場所、心地良く感じられる場所。

                  

地理的な話ではない。

社会的立ち位置、取り巻く環境など、そういった生きる上でのポジショニングの話である。

                  

良い「居場所」を見つけられた人は、安寧と充実を感じながら、生きて行ける。

                  

しかし、「居場所」は不変のものではない。

世情は、変化を構成要素としているかの如く移ろい、

己を取り巻く環境は、予想を上回る変化をみせる。

                           

そのような中、心地良かったはずの「居場所」が、「カゴ」に変化する事がある。

                    

他者からすれば、それほどではないように見えても、自分としてはそのように感じてしまう時がある。

                         

一度そのような心地になると、日を追うごとに「カゴ」は狭まり、格子の隙間は小さくなる

・・・・ように感じる。

                        

そんな時。

                 

さて、どうするか?

と考える。

                       

自身を「カゴ」に合うよう小さくするか。

                          

何とかして、この「カゴ」を、元の心地良い「居場所」に戻すか。

                          

それとも、「カゴ」を脱して、別の心地良い「居場所」を探すか。

                              

正解は特にない。

                      

自分で考え、行動し、その結果を自分のものとして受けとめる。

それだけを揺るぎないものとしていれば、不正解は無い。

                        

ただ、これだけは言える。

                         

「カゴ」と見えているものは、窓もない牢獄ではない。

追い詰められた自身の思考が「カゴ」を檻の如く見せているのである。

                              

「カゴ」は常に何処かが開いている。


カゴ
 

                           

        

              

旺龍堂代表 小幡良祐

旺龍堂ホームページhttp://ohryudo.com/

YouTube動画http://www.youtube.com/user/3spiritsryoken

Facebook 「小幡良祐」「旺龍堂」

Instagram 「r.obata