眼からウロコが落ちた男が嫌いなファッション | だれも書かない★ニューヨーク1%未満★

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日本からは見えにくい、知られざるニューヨークやニューヨーカーのこと、たまにプライベートなことを書いています。

物心ついたころから私はおしゃれをすることが大好きで、
それが高じて、愛読していた初期のJJのバックナンバーを、意識しなくても隅ずみまで記憶してしまい、それが買われて大学時代からJJにレギュラーのページをいただくライターとしてマスコミの片隅に足を突っ込むことになりました。

まさにファッションだけが取り柄。
呆れるほどこだわりがあり、たとえばその時代の黄金バランスからいえば、タイトスカートとジャケットの組み合わせならスカート丈は数ミリの狂いもなくどの丈で、それに対しジャケットの着丈はどれだけでなくてはいけないかとか、それに合うヒールの高さはこの身長に対してはこれ、10cm高い身長ならこんな具合というように、多くの人にとってはきっとどうでもいいようなことをいちいち突き詰めていたのです。

仕事として選んだファッションの道は、良くも悪くも、それまで漠然と潜在意識の中で形をなさないまま漂っていただけのいろいろなことを考えるきっかけにもなりました。


特に20代は、精神面ではものすごくバランスの悪い、まるで真っ暗なトンネルの中でもがいていたような時期でもあり、個人的にはファッションでも苦しい矛盾に悩んでいた時期でした。

毎朝、まるで呪文のように唱えていた言葉は、
「着る服がない」でした。


一時は百足を超える靴、クローゼットからあふれてきそうなほどの洋服の数、
「バッグ屋さんが開けるんじゃない」と揶揄されるほどのバッグたちに囲まれ、
今のワードローブに比べたら悠に3倍以上の数をもってしても、それでもなお、毎日着る服がないと、本気で悩んでいたのです。

そう、私は「マテリアルの迷宮」の犠牲者だったのです。


ずっとあのままいたら、プラダを着た悪魔になっていたかも^^;

いつも私は自分が好きな服、着心地が良いと感じる服、
その日の気分を忠実に代弁してくれそうな服を選んでいました。
そして何か決定的なことが足りないという実感はあってもそれが何か、どうしてもわからなかった。


でも、ずっと後になってやっと分かったことは、いくらファッション誌の表紙や巻頭ページを担当していても、自分自身の着こなしは、ひとりよがりだったこと。


どう独りよがりだったのか。
不覚にも何が間違いだったのか。

幸せになれる体質をもち、現に幸せにしている人たちの着こなしは決定的にどこか違うのか、
ニューヨークに暮らすうちに、やっと! それがわたしなりに分かったのです


それを昨年上梓した本にも、長年の反省をこめて書きました。


周りまわって、やっとファッションから人生哲学を学んだといってもよいほどの、わたしにとっては大発見だったのです。

そして、先日帰国した折に会ったファッション業界の大御所である森岡広氏
長年の友人なのでこれから森岡くんと書きます^^)と久々のファッション論、ファッション哲学を交わしたのですが、なんと! それでもまだ、目から鱗がぽろぽろ落ちる忘れ物(盲点)があったことに気づきました~><;

なんと、情けない!

森岡くんは、本人は謙遜しますが、非常に頭のいい人です。
野球選手を目指しただけあって運動神経も秀でて高い人ですが、
感覚神経もずば抜けた人。
その彼がわたしの頭をが~んと殴った言葉、それはこれでした。


男は、○○○○○○が嫌い

え~っ!!!

わたしたち女族がDNAレベルで愛する○○○が嫌い

○○○も嫌いって????

わたしそういうお洋服結構持っているんですけれど~。

有名ファッションデザイナーもおっしゃっていたわ、○○○があると売りやすいって。

でもよ~く周囲を見回してみると、確かにニューヨークでその○○○はあまりお目にかかりません。

次回は、その○○○の秘密について、もっとみなさんと考えたいと思います。
そして、女として男性には、ぜひ! こんなところからファッション改造していただきたい! ということも^^



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