こんにちは。
某大学でのゲストスピーチ、
とても人気のある先生のゼミの一環で呼んでいただきました。
昨年は、某有名デザイナーの広報担当をゲストに呼んだそうです。やりますね、センセ。
もちろん、そんな先生の講義が面白くないはずがありません。
たくさん質問していただき、何より、すごく熱心にメモをとりながら聴いてくださって、それだけで、暑い中、わざわざ満員電車で行った甲斐もあったというものです。
終わった後、何人かの方が「ありがとうございました」と声をかけてくださって、心底つまんない90分だったらどうしよう、とドキドキしていた心配から開放されて、「こちらこそありがとうございました」の心境でした^^。
来週、参加者全員から感想のレポートを見せていただくことになっていて、ものすご~く楽しみにしています^^。
全員のお名前、覚えておきますよ。近い将来、日本を背負ってがんばってくださる方が出現することを願って。
大学時代の友人が2人ばかり、大学生の子供がいるので、
「みなさんのお母さんの友人の、ちょっと変ったおばさんが来たってことで」
と、そんなノリで始めました。
内容は一応授業の一環なので、堅いものですが、こんなこともわたしの肉声として伝えておきました。
「アメリカでは、子供も若い子も、ボランティア、何か役に立つことをしようとすることはもはや、生活の一部。その理由は、楽しいから」
なぜ、楽しいか。
150万も存在するNPOの数からもわかりますが、
至るところにチャリティの機会があって、
たとえば、若い子を対象にしてボランティアを募る場合、
パーティがらみで「お疲れさん」をしたり、
NYなら「ニッカボッカー」とか「バークレー」というような上流の若い子の社交サークルのメンバーや、
女性のロータリークラブのような由緒ある社交クラブ、「ジュニアリーグ/註・別のコラムで活動内容をご紹介します」などが率先してチャリティを指揮するため、
ボランティアに参加し、お疲れさんのパーティを通じて、いろいろな人とも知り合えるわけです。
つまり、日本の現状に合わせて誤解を恐れず平たく言えば、
ボランティアの後は、そのまま合コンが待っている、ま、そんな感じでしょうか^^;。
楽しくなかったら続きませんよね。
でも続けなかったら意味がないんです。
その他、内容の一部を、ここでご紹介します。
アメリカ人の生活に根付いた社会貢献の例
1) 同時多発テロ時、究極の修羅場に、他人や社会の役にたつことを考えた迅速な判断と行動力がNYを支えた
2) 三つ子の魂百まで、チャリティを教えるのに早すぎることはない実例。
3) Waren Buffett 自社株の85%をチャリティに。44ビリオンという破格な金額を、しかも自らの財団ではなく、ビル・ゲイツの「ビル&メリンダ財団」に寄付した背景
1) に関してはブログでも何度も繰り返しているので、省略。
2) については、こんな例を挙げました。
娘の友人からお誕生日パーティのご招待に関するこんなメールが届きました。
親愛なるM(娘)へ
わたしたちが四月九日に開くお誕生パーティに、Mが来られること、とても嬉しく思っています。わたしたちは、すばらしいお友達のグループに恵まれて本当に幸せです。だからこの幸せを他の子供たちにもおすそ分けしたいと考えています。
それで、ブロンクス(比較的貧しいエリア)にある公立校277の五年生の子供たちが、夏休みに読む本を寄付することにしました。実はそのクラスのロバート・パンディッシオ先生は、わたしたちの学校の生徒のお父さんでもあるのです。
現在、そのパンディッシオ先生のクラスでは、「こんな本があったらいいなぁ」という本のリストを作っています。
わたしたちへのお誕生日プレゼントをご両親に買ってもらう代わりに、どうかバーンズ&ノーブルかボーダーズの図書券を購入してください。その図書券でリストの本を購入しようと思っています。
また、もし直接リストの中の本を一冊か二冊購入したいということであれば、リストをメールで送ります。希望の本を教えてもらえたら、わたしたちが購入するリストからはずします。
わたしたちは、恵まれない環境にある子供たちに本を贈ることは最高のギフトだと信じています。
わたしたちの気持ちを理解してくれて本当にありがとう。本のリストにご興味のある方は、おっしゃってください。
愛を込めて
ジュリアとケイティより
ジュリアとケイティというクラスメートは、九歳のお誕生日を、学年全員(といっても四九人ですが)を呼んで、一緒にダブルデッカーバスを貸切り、マンハッタンをツアーするというパーティでお祝いすることにし、本来なら四九個もらえるはずのプレゼントを潔く辞退したのです。
もちろんわたしも、常に何か世の中や社会の役に立ちたいと考えてはいます。そして、子供たちにも同様の気持ちを持ってほしいと願ってはいるのですが、こんな形で教えられる機会があるなんて、親としても「してやられた」という気持ちになったのです。
そういえば、二〇〇一年の同時多発テロの直後、当時四歳だった娘のクラスメートの男の子は、プレゼントを辞退し、その分の代金を近所の消防署に寄付することにしたし、昨年のアジアの津波被害のあとは、お誕生プレゼントを辞退し、赤十字への献金に当てた子がいました。
こういう背景には、ご両親の意識の高さが裏付けになっていることはもちろんですが、子供自身もほしいおもちゃをちょっと我慢することで、困っている人や恵まれない子供たちのために役立てようと自発的に納得できることが前提です。
娘の周囲には、こんな形で、かなり小さいうちから、困っている人の役に立つことが可能だと友達から学ぶ機会があります。
親自身も何らかのチャリティに参加しているのが普通なため、子供たちも、何もしないほうが、却って勇気がいる、と言っても過言ではないほど、何かできることをしなくてはいけない、という意識を、ことある事に洗脳されていくわけです。
そして
3)のWaren Buffettの例は、わたしが感銘を受けたことは、自身の財団をもっているにもかかわらず、敢えて、ビル・ゲイツの財団に巨額の寄付をしたこと。
その背景には、ビル・ゲイツの財団なら、すでにアフリカ関係のチャリティにおいては、インフラが整備されており、より能率よく資金を役立てることができる、との判断によるもののようです。
ある意味で、自身の大きな財団をもつことは、名誉や成功を手中にした人間の最後のエゴを満足させるための証とはいえないでしょうか。
しかし、Buffettは、そのエゴを捨て、敢えて規模の点ではライバルであるビル・ゲイツの財団に資金を投じることにした。
日本も貧富の差がどんどん開いているといいますが、日本経済に大きな影響力をもつ成功者が、Buffettや、ビル・ゲイツ、ニューヨーク市長のマイケル・ブルムバーグのような行動に出たら・・・日本も大きく変るきっかけになるのでは。
次回も、ちょっと堅くて退屈かもしれませんが、アメリカでは具体的に一般市民レベルの人たちの善意の受け皿は、どんな形で用意されているのか、について
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