戦争体験者も年ごとに減少していきます。
次の世代へしっかりと受け継いでいかないとその体験はなかったものに等しくなってしまいます。
鹿児島県の知覧町には、昭和18年ごろ陸軍特攻基地として最大規模の航空部隊知覧飛行場がありました。
当時、部隊からの要請で、福岡にある藤井養蜂場の蜂蜜が兵士たちの栄養強化の目的で供給されていました。
特攻隊員たちは十代から三十代の若者。
覚悟の上とはいえ、先に逝く者と後に残る者の胸の内は如何ばかりだったことでしょう。
隊員たちが出撃する前の最後の飲み物には、はちみつが入っていたそうです。(養蜂場の社史より)
最後の飲み物とは、別れの水杯のことではないでしょうか?
つまりは栄養補給?
元気を付けるために、はちみつ水を飲んで出撃したのでしょう。
生きるための栄養補給なら納得できますが、死ぬための栄養補給とは・・・。
胸の痛む想いです。
当時知覧町には、越冬のためにミツバチがやって来ていました。
春には菜の花やレンゲ草の花が咲き、見渡す限りレンゲの絨毯を敷いたようだったそうです。
特攻隊員たちはおそらく、菜の花のはちみつやレンゲのはちみつを食べていたのではないでしょうか。
蜂蜜を使った飲み物が、二度と死ぬために使われることのないように願わずはいられません。
今でもその養蜂場のハチミツが売られています。
私が使った蜂蜜がその養蜂場のレンゲの蜂蜜です。
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