近畿方面の旅:三連水車がシンボル!“一乗谷あさくら水の駅” | 全国の“道の駅”完全制覇の夢!

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全国の道の駅巡りをしています。
2006年12月に旅をスタートし、7年半を費やして一応全国制覇を達成しました。

でも、その後に新しい道の駅が次々に誕生し、全国1209カ所に達しています。
私が走破したのはその内の1197カ所ですから、まだまだ旅は続きます。

2日目になりました。

道の駅一乗谷あさくら水の駅 (いちじょうだに) が、今日の最初の目的地になります。

 

 

 

 

 

2日目の今日は、福井県の新しい道の駅6カ所を回ります。

 

宿泊した滋賀県長浜市のホテルを出ると、すぐ横が “長浜IC” です。

ここから北陸自動車道を “福井IC” まで走り、そこからは一般道を6~7分程です。

宿泊地からは94km、1時間10分程かかりました。

 

 

 

 

 

 

パンフレットから付近の略図をお借りしました。

道の駅から少し先に “一乗谷朝倉氏遺跡” というのがあると思います。

 

“朝倉氏” は、“一乗谷城” を拠点に五代、103年の間 “越前国” を支配した戦国大名です。

前回ご紹介した “三姉妹” の父親 “浅井長政” との盟約により、五代目 “朝倉義景” は4年間にわたって織田信長と戦ってきましたが、1573年ついに滅ぼされてしまいます。

 

朝倉氏が約100年かかって築き上げた城下町は京都を見習って計画的に町割りされ、大規模な武家屋敷と職人などの小さな町屋、寺院、庭園などが整然と並び、武家文化が栄えていました。

しかし押し寄せた信長軍の軍勢により、そのすべてが焼き尽くされてしまいました。

 

400年のあいだ眠っていたその城下町が、昭和42年から始まった本格的な発掘調査で次第に蘇り、“復原街並” が作られ、山城跡を含む278haが “国の特別史跡” になっています。

更に、主要な4つの庭園が “国の特別名勝” 、遺跡から出土した2,343点が “重要文化財” に指定されています。

 

 

 

 

 

この道の駅のコンセプトは、“「人」と「水」の深いかかわり” です。

ですから道の駅の前には水路があり、シンボルである直径3.6m~4.4mの “三連水車” が動いています。

 

実は私の地元である福岡県にも “朝倉” という地名があり、そこの “三連水車” が観光スポットとして有名です。

でも、“朝倉氏” とは直接関係が無いようですから、単なる偶然でしょう。

 

 

 

 

 

この道の駅の全体の配置をまずご覧いただきたいと思います。

上が広域の地図、下が中心部分です。

 

道の駅の前には水路が流れていますが、背後には大きな “足羽川” があります。

先ほどの三連水車でくみ上げた水は、敷地内にある “ビオトープ” に流れます。

 

“ビオトープ” というのは、周辺に生息する動植物を観察できる水路で、6月になると飼育されているホタルが飛び交います。

 

 

 

 

 

三連水車に繋がった “粉ひき小屋” では、実際の道具が再現されていました。

「突き臼」 「ひき臼」 があり、その仕組みが分かるようになっています。

 

 

 

 

 

この正面の建物が道の駅の本体である “ふれあ情報館” です。

 

 

 

 

 

このパンフレットにあるフロアMAPを参考に、中に入ってみましょう。

 

 

 

 

 

 

入り口を入った正面に “食事処” があり、右手に “特産品販売コーナー” があります。

下の写真の右手、壁にポスターが貼ってありますね。

 

この “犬” に見覚えがありませんか?

 

 

 

 

ソフトバンクのCMに出てくる “お父さん犬” は、ここ一乗谷の生まれだったのですね!(笑)

 

 

 

 

朝早いのでお客さんは少ないですが、ここの売り場は土産物などが整然と、美しく配置されています。

店内はとても雰囲気が良いと思います。

 

さて、再び外に出ました。

 

 

 

 

 

情報館のすぐ横にあるこちらは、吹き抜けの “交流施設” で、休憩や各種イベントの会場としても使われます。

そしてその先は、広い芝生公園が広がっていました。

 

 

 

 

先ほどの配置図にもあったように、芝生公園の先には “体験農園” があります。

 

 

 

 

米つくり、野菜作りが体験できるようです。 

先程も紹介したように、道の駅の裏は “足羽川” が流れていますが、それがこちらです。

 

 

 

 

川の上流に何やら家の形のものがあるので、何だろうと行ってみました。

 

 

 

 

 

先ほどの配置図に照らし合わせてみると、“足羽川頭首工” と書いてあります。

 

“足羽川頭首工” というのは1692年に福井藩 用水奉行であった戸田弥次兵衛が築いた堰堤が起源であり、その後水害や災害の度に補修され、昭和38年に今の形になったのだそうです。

それにしてもユニークな形だと思います。

 

一乗谷は歴史ある土地であり、周りの景色も美しくて魅力ある道の駅だと思いました。

 

 

 

どくしゃになってね…