中国地方一周の旅:高さ40mの歴史遺産!“余部鉄橋空の駅” | 全国の“道の駅”完全制覇の夢!

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全国の道の駅巡りをしています。
2006年12月に旅をスタートし、7年半を費やして一応全国制覇を達成しました。

でも、その後に新しい道の駅が次々に誕生し、全国1209カ所に達しています。
私が走破したのはその内の1197カ所ですから、まだまだ旅は続きます。

前回の “道の駅あまるべ” の続きで、今回紹介するのは

余部鉄橋 空の駅 です。

 

 

 

 

 

道の駅の標識と一緒にこの “空の駅” の看板もありますが、勿論空の駅なんてここしかありません。

 

前回の記事でご紹介したように、余部(あまるべ)鉄橋は明治45年に東洋一の規模として完成し、約100年を経過した平成22年に現在のものに建て替えられました。

 

建て替え前の、旧余部鉄橋の写真がこちらです。

 

 

(パンフレットより写真借用)

 

高さは今とほぼ同じで41m、長さ309m、そしてご覧のような11基の橋脚で作られています。

この、元の橋脚の内の3本を残して、展望施設 “空の駅” が誕生したのです。

 

 

 

 

これが周辺案内図ですが、一番下に道の駅があり、一番上にあるのが山陰本線の “JR餘部駅” です。

餘部(あまるべ)駅は高さ40mの鉄橋の上にありますが、空の駅はこれに隣接して作られました。

 

平面図では分かり難いかもしれませんので、別の絵をお見せしましょう。

 

 

 

 

 

横からと上空からのそれぞれイラストです。

これだと、随分高い位置に駅があることが分かりますね。

 

ところで、“餘部駅” というのは最初からあった訳ではありません。

 

明治45年に余部鉄橋は完成しましたが、三方を山に囲まれて陸の孤島であった余部には駅が無く、外部との行き来には車も通らない山道しかなかったのです。

 

それで人々は汽車に乗るために高さ41mの長い鉄橋を渡り、列車の通過に怯えながら4つのトンネルを抜けて鎧駅まで線路を歩くしかありませんでした。

 

長い期間の陳情を経て昭和34年4月にようやく餘部駅が誕生しますが、その工事には子供たちまで加わって海岸から岩石を運び上げたといわれています。

 

 

 

 

 

 

空の駅へは橋脚の下の歩道を歩いて行きますが、そこは芝生公園が整備されており、途中橋桁の鉄骨を利用した “東屋” もありました。

 

 

 

 

橋脚の下から階段がありますが、お分かりでしょうか?

ここから階段と山道を高さ40mまで上って行くのです。

 

 

 

 

 

これは上っている途中の写真ですが、旧橋脚が3本だけ残してあるのが分かりますね。

 

結構急な坂道を上るので汗をかきました。

毎日通勤、通学をされている方は大変だろうと思います。

 

 

 

 

 

 

そして到着したのが餘部駅で、これは現在使われている現役のホームです。
 
一番下の写真の、右下に映っているベンチはわかりますか?
旧橋脚の鉄骨を再利用したものですね。(^_^)
 
空の駅はこのホームに並行した形で、作られています。
 
 
 
 
これがかつて使われていた線路で、この線路の上を進むと展望施設に行けます。
 
 
 
 
線路はここまでで、この先が展望施設になっています。
この右側に並行して現在の山陰本線が走っています。
 
そしてここからの展望がこちらです。
 
 
 
 
 
展望台の途中にはガラスののぞき窓で真下も見れて、なかなか迫力があります。
 
明治45年に完成し、100年に渡って山陰本線を守ってきた旧余部鉄橋は、“平成26年度土木学会選奨土木遺産” に認定されています。
世代交代はしたけど、その一部がこういう形で遺産として残されているのはすばらしいことだと思います。
 
 
 
 
どくしゃになってね…