四国香川の旅:道の駅大阪城残石記念公園 | 全国の“道の駅”完全制覇の夢!

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全国の道の駅巡りをしています。
2006年12月に旅をスタートし、7年半を費やして一応全国制覇を達成しました。

でも、その後に新しい道の駅が次々に誕生し、全国1221カ所に達しています。
私が走破したのはその内の1204カ所ですから、まだまだ旅は続きます。

小豆島の3か所目、今回の最後になるのは
道の駅大阪城残石記念公園 です。



ここは、島の反対側の海岸沿いになります。
一旦西側の “土庄” へ行ってから島を縦断するので多少遠回りですが、道路は快適です。



ここに着くころは空は晴れあがり、最高の天気になりました。
というより、暑い! じっとしてても汗が流れます!

この石の記念碑「大阪城残石記念公園」の文字は、元首相の細川護熙氏による書です。
細川護熙氏は私が転勤で熊本に赴任していた時代の県知事なので親しみがあります。






何故ここが 「大阪城残石記念公園」 なのか、というのが気になりますね。

今から400年前、徳川幕府の大坂城拡張・修築工事の際、西日本一帯から花崗岩が集めれ、その数は50万個以上と推定されています。
その石は、主に六甲山系、生駒山系、そして小豆島をはじめとする瀬戸内海の島々から運ばれたものです。



そして切り出されものの、大阪城には運ばれずここに放置された石が多数残っており、これを “残念石” と言います。

これらを保存し、後年に伝えるために作られたのがこの公園なのです。




ここに一列に並んでいるのが、その残石群(残念石)の一部です。





そしてここは、それらの石を切り出したり加工したり、運んだりした工程が再現してあり、資料館になっています。
当時のままの木造の建物に入ってみました。

建物は細長く「残石棟」「切り出し棟」「運搬等」「加工棟」と続いています。
それぞれの棟に入る度にセンサーが感知し、説明のアナウンスが流れます。
そして、石の現物や実際の加工などに使われた道具がぎっしりと展示されています。

ブルドーザーもトラックも無い時代に、さまざまな工夫をして目的を果たしていたことが良く理解できます。

下の写真の右側の木造建物群が、その資料館です。





そして屋外には、実際に巨石を運んだ道具や・・・・・・




それを海に浮かべた “筏” 等も再現されていました。




道の駅の裏側には港があり、その先に瀬戸内海と、その島々が広がります。




裏手は山々が連なっていますが、ここから岩石を切り出したのでしょうか・・・
山肌が削り取られています・・・。





資料館以外では 「休憩所・情報コーナー」 「喫茶・売店コーナー」 がありますが、気ままなツアコン☆カリナさん 曰く 「超ツマラン」 の言葉とおり、あまりに貧弱なのでご紹介しません!(笑)



この最後の道の駅で食事にしようと思っていた当ても外れ、小豆島を離れることにしました。

帰りは「土庄港」(とのしょうこう)からフェリーに乗ります。
これがフェリーターミナルです。






来る時はがらんとしていたフェリーも、帰りは高校生の修学旅行(らしい)と一緒になり、賑やかな船室でした。

高松にもどり、時間があるので最初行った「源平の里むれ」 にもう一度行って土産を買いこみ、讃岐うどんを食べ、そして家路につきました。

初日の雨は仕方がないとして、今回特に楽しみにしていた小豆島が晴天だったので、ラッキーな旅になったと思います。



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