紀文と奈良茂じゃあね | メタボリックがとまらない ver.7 東京出戻り編

メタボリックがとまらない ver.7 東京出戻り編

副題 : もう遠距離の異動は無いだろう

https://ja.m.wikipedia.org/wiki/%E7%B4%80%E4%BC%8A%E5%9C%8B%E5%B1%8B%E6%96%87%E5%B7%A6%E8%A1%9B%E9%96%80 



江戸時代に豪遊した商人として有名なのが、紀伊国屋文左衛門と奈良屋茂左衛門。
どちらも放蕩の限りを尽くしたという伝説が残ってますが、放蕩の限りを尽くしたという事は、当然ですけど金を使いまくったという事である。




さて、なんで日本では二大政党制が根付かないのだろう?と考えていた時、この2人の豪商が思い浮かんだのですが、この2人に共通しているのは、どちらも集めた金を使いまくったという事で、使いまくった金額の比較は出来るでしょうが、両者に違いがあるのかと言えば、そこまで違いがある訳では無い。
現代まで名を残している、例えば三井系企業の先祖てある三井高利であれば、紀伊国屋文左衛門と三井高利、奈良屋茂左衛門と三井高利といった風に、両者の違いがハッキリしますが、そのように考えてみると、金遣いの荒さといったような事は、根本的な何かを比較する時の材料にはならなかったりするのである。




日本で二大政党制が根付かない理由として、与党も野党も、基本的に金のバラ撒きしか考えてないという事が挙げられるのではいか?
金をバラ撒く為に、消費税を上げようと考えるのが自民党だとしたら、消費税は下げるが、国民の福祉の為に金をバラ撒くと言っているのが野党な訳で、どちらも結局のところ「金をバラ撒く」のが政治だと考えている。
与党からも野党からも出てこないのが、「消費税を下げる代わりに福祉サービスも下げる」という声なんですけど、そのような発言をする野党が出てこない限りは、日本で二大政党制が根付くはずがないだろう。




「金をバラ撒く為に消費税を上げる」と言う自民党の方が、「消費税を下げて金をバラ撒く」と言う野党より現実的なのは明らか。
「金をバラ撒く為に消費税を上げる」という考え方に対抗するには、「消費税を下げた分だけ金のバラ撒きを辞める」という考え方が現実的な対案なのであって、そのように現実的な主張の違いがあってこそ、有権者はどちらを選ぶのがという選択肢になる。
「消費税を下げろ!」と叫ぶのと同時に「福祉を充実させろ!」と叫んだところで、それは現実的ではないという事を、いつになったら「政権交代!」と叫ぶ野党は理解するのだろう?




「税金を下げて金をバラ撒く」ためには、それこそ「埋蔵金」を探すしか道は無いだろうが、「埋蔵金」が存在しなかった事は、民主党政権時代に判明しているのですが、そのような過去の現実も理解出来ないのであれば、政治家を辞めて活動家に戻るべきなのではないか?