メタボリックがとまらない ver.5 大阪出戻り編

副題 : 粉もんの誘惑に勝てるか?


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金曜日にラウンドしてきまして、前半のアウトは53、後半のインは46と100切り達成。
後半の46は、インの距離が短かったからと推測してまして、わざわざドライバーを使う必要もなく、スプーンでティーショットが出来たからだと思っている。






練習場で比較しても、実はドライバーよりスプーンの方が、安定して飛距離が出ている。
スプーンの方が短いのもあるけど、ドライバーとスプーンとで、あまりヘッドスピードの違いが出ないというのが、何とも言えない私の悩み。
この悩み、実は遥か以前からの悩みであって、フェアウェイウッドが打てるようになった時期から、ずっと続いてたりする。




なんとかならんかの~~。
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パラダイス文書なるものを、Yahoo!ニュースで見かけた。
タックスヘイブンな国で、世界各国の富裕層が投資していたという事を、実名を挙げて暴露された文書ですが、日本からは鳩山由紀夫や鳥山明、民主党時代ので副大臣の名前が挙がっていた。




たまたまテレビをつけたら、報道ステーションでパラダイス文書を報道していたのですけど、プーチンだトランプの側近だの名前は挙がっていたが、鳩山由紀夫などの名前は全く出てこない。
タックスヘイブンな国を利用した投資自体は、法的問題というより、倫理的な問題だと私は思っているけど、もし安倍首相や自民党幹部の名前が挙がっていたら、マスコミは大喜びで報道していただろう。




そのように報道する事が、いわゆる偏向報道であるのだけど、どうしてマスコミは理解できないんだろう?
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大阪で「天王寺ワッソ」というイベントが開催されたようだ。
「ワッソ」という言葉は、朝鮮語なのだそうだけど、日本と朝鮮半島の長い交流を、もっと日本人に知ってもらおうというイベントだそうで、結構長い事やっているらしく、古墳時代とかからの古い時代の扮装をして、パレードとかもしているらしい。




日本と朝鮮半島の交流は、確かに古い時代から継続していた。
しかしながら、それが政治的という点から、密接な交流だったのかと言えば、さほど密接な交流では無かったというのが、日本と朝鮮半島の関係の実態だった訳で、それも日本が朝鮮半島に求めるというより、朝鮮半島が日本に求めるという図式の方が、相互の関係を振り返ると見えてくる。
日本が積極的に朝鮮半島と政治的交流を模索したのは、任那日本府という出先期間があった時期と、日本との関係が良好だった百済の滅亡の時期、かなり下がって豊臣秀吉の朝鮮出兵と、更に下がって明治維新以降で日韓併合に至るまでぐらいではないか?
国家間の交流という点で、日本が意識しなければならなかったのは、朝鮮半島の国家よりも、中国本土の国家だった訳で、それですら日本から積極的に政治的交流を求めたのは少ない。
鎖国の影響以前に、四方を海に囲まれた日本という地勢は、大陸と政治的に絡む必要性や、政治的に絡まれる必然性も少ない訳で、政治的交流が少なくて当然だろう。




では、文化的な交流を考えてみると、「文化の交流」という言葉は、あまりにも範囲が広すぎるのですが、そのような範囲の広さに疑問を呈する人は少なく、曖昧なまま「文化の交流」と言う人が多すぎる。
「文化の交流」という言葉が指しているのが、商業的交流なのか、はたまた政治学も含めた学問的交流なのか、それとも宗教的交流なのかサッパリ分からないのですが、その3つの交流を考えてみた場合でも、「教える・学ぶ」といった意味での交流は、日本と中国との間には多くの事例があるけど、日本と朝鮮半島との間には少なく、ましてや宣教師みたいな、朝鮮半島からの一方的な文化の啓蒙なんて事例はほぼ存在しない。
商業的な交流は、例えば磁器や高麗人参などの商売の繋がりは存在していたけど、歴史的に朝鮮半島の市場は非常に小さく、中国の産物を手に入れる為の中継地点としての価値はあったが、朝鮮半島産の商品価値の高い産物は、これまた数が少なかったのが実情だ。




日本人の気質に、「本場を好む」というのがあると思いますが、朝鮮半島の歴史や文化を見てみると、朝鮮半島が本場だと言える物は、歴史的に存在していない訳で、本場である中国があると言うのに、なぜ亜流である朝鮮半島へ学びに行かなければならないのか?
更に言えば、独自の文化を作り上げた日本からすれば、自分達の作った文化や好みに合った、新しい物を取り入れれば良いだけの話であり、そのように取捨選択できるだけの財力も、黄金の国と呼ばれた日本にはあった。
西洋の尺度で言えば、貧乏国であった明治時代ですら、西洋を学びに香港や上海に行くような事はしていない訳で、それぐらい本場を好むのが、日本人にとっての当たり前である。




お花畑な人には受け入れがたいだろうけど、日本と朝鮮半島の交流の歴史的実態は、彼らの思っている以上に小さく、その歴史的影響は更に小さい。
「近くて遠い」というのが、日本から見た朝鮮半島の実態な訳で、そのようになった大きな要因は、朝鮮半島が何かの本場だった事が無いからであり、日本から見て魅力が無かったというのが実情。




歴史から学ぶって、そういう事だと思うのさ。
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蓋を開ければ、自公政権の圧勝に終わった今回の選挙。
まあ、地道にコツコツやってきた政党は勝ち、国民の考えや意識を無視した政党は負けたという、ザックリとした結論になるだろう。




選挙前、マスコミの期待を一身に受けた希望の党だったが、マスコミの期待を裏切る結果となった。
小池氏や若狭氏によれば、「排除」という言葉使いが、今回の敗北の大きな要因との検証らしいが、個人的な感想を言えば、欲深い舛添要一に対する批判票を集めて勝った人が、国政の勢力争いという場において、自らの欲をさらけ出した事が、今回の敗北の要因だと思っている。
風の読み違いというより、風を吹かせた物への勘違いだったとしか言いようが無く、政治家の私欲を嫌う庶民意識こそが、都知事選や都議選で風に乗れた要因だったのに、議席数だけを私欲で考えた小池氏は、自ら風の元になる人達を手離したとしか言いようがない。
保守系の2大政党を望む人達からすれば、希望の党の主張と合わない人を排除する事は、別に当たり前の事だと思っていた訳で、それを忠実に行わず、中途半端に民進党議員を受け入れたことが、保守派の人達からソッポを向かれた原因ではないか?
「政党助成金欲しさ」とまで言われてしまったら、もう小池氏に綺麗なイメージは付いてこない訳で、かなりの大失敗だったと思う。




では、勝ったと浮かれている立憲民進党ですが、何処に入れたら良いか迷っていた左翼系の票の、受け皿としては機能しましたが、指示政党を持たない層の取り込みには失敗した。
これは、希望の党の排除の影響がありますが、保守系と見なされなかった人達が、立憲民進党に仕分けされた人達だったからで、指示政党を持たない層の多くを占める保守層からすれば、立憲民進党は投票の対象にはならない。
判官贔屓で投票した人もいるでしょうが、菅直人などの圧倒的な強さを持たない候補の戦いぶりを見ても、ギリギリ勝った人達が多く、そこまでの風は吹かなかったと見るのが妥当だろう。
しかしまあ、トップに酷い人を置いた時の、枝野幸男の目立ち方は半端無く、東北大震災の時の菅直人とか、今回の前原とか、こういった人のおかげで評価を上げてる気がする。




野党の選挙を総括すると、目の前にある大義(北朝鮮問題など)から目を背け、存在しなかったモリカケに執着した結果が、今回の自民党完勝に繋がったと思う。
そのような結果を踏まえ、本当に議論する野党となれば別だけど、今まで通りの議論に応じない野党のままなら、次の選挙も負けるだろう。
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私の7番ウッドは、ミズノのMPチタンなんですけど、リシャフトされてたのか長さが42.5インチと、下手すると普通のクリークより長かったりする。
キャロウェイのヘブンウッドと同じような長さですが、この長さのおかげで、上がりやすさと飛距離を両立している。




上がりやすいゼクシオのスプーンを手に入れたので、悩みは解消しつつあるのですが、ゴルフ業界は保守的なのか、スプーンと同じ長さのクリークとかバフィーとかを、滅多に売り出そうとしない。
「長い=難しい」という図式があるからなのか、クリークにせよバフィーにせよ、ラインナップにスプーンがあったら、必ずスプーンより短い設定となっている。
カチャカチャが主流となった現在においても、そのような売り方を模索しないのがゴルフ業界な訳で、そのように保守的な傾向が伝染するのか、ゴルファーも求めていないのかも知れない。




例えばスプーンから7番ウッドまでの、全てのウッドを入れるのなら、番手毎の長さの階段は必要だろうが、せいぜいウッドは2本な訳で、その2本に長さの違いがありさえすれば、それぞれの長さの設定は自由だろう。
ゴルファーなりの思惑があり、その思惑を達成するのに必要なのが、一般的なクラブと異なる長さなのだとしたら、それはゴルファーの思惑に合わせるべきだと思う。
そのような思惑を邪魔しているのが、ゴルフ業界のコリ固まった考え方なのだとしたら、それこそ考え方を改めてもらうしかない。




ヘブンウッドを手に入れて、その恩恵を受けるゴルファーもいるだろうが、そのような恩恵があることを、先入観から否定するゴルファーの方が多いだろう。




そんな事を思ったのですわ。
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最近になって、携帯版みんGOLを始めたのですが、簡単すぎてつまらない。
まあ当たり前なんですけど、リアルなゴルフの楽しさを知ってる人からすれば、みんGOLはゴルフでは無い訳で、リアルなゴルフを求めてプレーするのは間違いなのである。




とは言うものの、潜在的にゴルフは楽しそうだと理解している層として、みんGOL等を楽しむ人達を捉える事は可能だし、みんGOLとリアルなゴルフを並行して楽しんでいる層もいるだろう。
往年の名作である、遥かなるオーガスタを楽しんでいた、リアルゴルファーもいた訳だし、ゲームを元にマスターズのテレビ観戦を楽しんでいた人もいたのだから、バーチャルとリアルを繋ぐ何かは有ると思われる。
しかしながら、その何かを探る努力を、ゴルフ業界全体が取り組んでいるかと言えば、五里霧中の中で立ち止まっているとしか見えない。




みんGOLをしていて思ったのが、使える道具のネーミングのダサさ。
開発者には申し訳ないけど、リアルなゴルフをしてる私にとっては、どれもこれもダサいネーミングな訳で、わざわざ課金してまで欲しくなるような物ではない。
ゴルフの楽しみの一部であるはずの、クラブに夢を抱くという点において、全てのゴルフゲームは無関心であり、数字の記載されたグラフィックという位置付けでしか無かったし、そもそもクラブに関する知識も無いだろう。




と、長々書いて来ましたが、何を言いたいのかと言えば、なんでゴルフ業界は、ゲーム業界に参加しようとしないのか?という事。
課金が当たり前となった現在、みんGOLに例えばゼクシオを出してしまうとか、グリーンランドのウェッジを出してしまうとか、そういった参加の仕方もあると思う訳で、そういった提案とクラブの知識を、ゲーム業界に知らしめる事で、何かを生み出す事が出来るのではないか?
よく飛ぶドライバー、スピンの掛かるクラブ、よく入るパターといったものを、ダサいネーミングで表記していたゲームにおいて、もっとリアルなクラブ選びを提案出来る気がする。




リアルでゼクシオを使っている人は、みんGOLでもゼクシオを使いたいだろうし、みんGOLにおいてゼクシオで美味しい思いをした人は、リアルでもゼクシオが欲しくなるかも知れない。
「何を馬鹿な!」と言う業界人もいるだろうけど、こういった事すら思いつかず、ただゴルフ衰退を危ぶむだけだから、実際に衰退を止められないでいるのではないか?




ゴルフに入る入り口なんて、どんなのでも良いと思うのだ。

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ゴルフ5の、お買い得中古コーナーを見ていたら、こちらを見つけた。
ゼクシオフォージド フェアウェイウッドの3番。2011年モデルなのだそうな。






このシャフトが刺さって6,900円だったので、お買い得だと思い購入したのだ。




以前手に入れたロイコレのスプーンは、チタンだったのだけど上がりきらなかった。
それから、チタンのスプーンを探していたんだけど、やっぱり高くて手が出せず、お買い得なスプーンを探していたのでした。
まあゼクシオも候補ではありましたが、値段的に候補となり辛く、あまり考えてはいなかったのが実状。




私がスプーンに求めるのは、上がりやすさと飛距離な訳で、操作性は全く求めていない。
まあ操作性という言葉自体、アベレージアマチュアには無縁の言葉だと思っているので、曲がりにくいと言われているクラブの方が、アベレージアマチュアにとっては良いクラブだと思う。




で、打ってみた感想ですが、上がりやすくて飛ぶクラブだと思う。
ロイコレのと比べて楽に上がってくれるし、捕まりも良いと思う。
ユピテル計測で、下から最大205ヤードと出たから、概ね190ヤードは飛んでくれる気がする。




11日はラウンドだから、ちょっと楽しみだ。
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ウェッジに関する記事を見かけましたが、十年一日のように、記事の内容に変化が無い。
ウェッジ事情について、市場での変化があるはずなのにである。




いまだに出てくるのが、セットのウェッジと単品についての説明。
ゴルフ場で、他の人のキャディバッグを覗いても、セットのウェッジを使っている人って、相当昔のアイアンセットを使っている人か、ゼクシオを使っている人ぐらいしかおらず、今や単品ウェッジの方が圧倒的に主流。
ゴルフ雑誌を見ても、セットのウェッジを説明する記事なんて見当たらないし、そもそもセットにウェッジを含めない販売方法となって、かれこれ10年は経過しているだろう。
セットに含めない販売方法となった時点で、2鉄や3鉄などのロングアイアンと同じく、セットのウェッジは絶滅危惧種となったのだと言えるのですが、そのような現状を知ってるくせに、なぜセットのウェッジを記事に出すのだろうか。




単品ウェッジが主流で、それもソール幅の狭いモデルが主流であるなら、使い方の記事をメインにするしかあるまい。
アプローチでもコレだけ開け!とか、練習場では最低でも20球!とか、もはやモデル毎の細かな違いなんかより、そういった記事をメインにすべきなのではないか?
平均的に万能なウェッジが無いと言っている以上、もう練習で上手くなるしか道はない。




Amazonとかでも見られるような、買った人のコメント紛いの記事を書くより、ゴルフ雑誌やショップの人は、使い方の記事を増やした方が良いと思う。


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いざという時に、その人の本性が出てくるもので、民進党のゴタゴタと、それに踊らされる民進党議員を見てると、筋が通っているのは野田元首相だけだと思った。
野田元首相の主義や主張がどうであれ、人気政党からの公認という餌を吊り下げられても、あいつの股は潜らないと啖呵を切る姿勢は、筋の通ったものであって気分が良い。




おまんまの食い上げともなると、それまでの事から目を背けて、実利に走ろうとするのが人間の本性。
今回の民進党議員もそうだけど、やれ改憲にNo!とか言ってた人が、改憲派の小池の元に走る姿を見てると、主義や主張より大事なのは、まさに飯なのだという事を思い知らされる。
プラカードを出して、やれ戦争法案とか言ってた癖に、私の考えは小池氏に近いなんて事を言うのが、民進党の名だたる面々なのだから始末に悪い。
このような人達は、いざ北朝鮮のミサイルが飛んできたら、国民を押し飛ばして地下壕に飛び込むだろう。




このような振る舞いを見て、真っ先に思い出したのが韓国の姿勢。
超円高ボーナスによって、我が世の春を楽しんでいた韓国は、それこそ傲慢無礼な態度を日本に示していたし、アメリカと中国を天秤にかけて、バランス外交だなんてのたまっていたけど、超円高ボーナスも終わり、北朝鮮の暴走が激しくなったら、誰も味方がいなくなった。
韓国の成り立ちから言えば、節を曲げずアメリカ側に付くしか無いはずなんだけど、金の魔力が理性を奪ったとしか言えない体たらくは、大勝した民主党の体たらくと似ている。




実るほど頭を垂れるのが稲穂だけど、実らなければ頭を上げっぱなしとも言える。
調子こいてた民進党の議員達が、真っ当に人格の向上を目指せば良いけど、たぶん恨みで自分を膨らませるだけだろうなあ。
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太平洋戦争における、沖縄戦を語る上で出てくるのが、軍からの命令による集団自決。
これに関する否定論として、曽野綾子さんが出した本が有名ですし、対して軍からの命令を肯定する本も沢山出ている。
と、それぞれを読み比べるのが一番なのですが、不意に疑問が湧いてしまったのだから、自説を書いてしまう。




ある時期が過ぎてしまうと、その時期に関する神話のような物が必ず生まれ、その時期に当たり前だった常識や空気よりも、後から生まれた神話の方を信じる事が多い。
人は、過ぎ去った時代に関して、自分の中で始末をつけたい生き物だから、様々な証言や資料を組み合わせて、自分の理解しやすい答を求めてしまうのだけど、そのように組み合わせてしまう事が、実は過ぎ去った時代の事実から、目を背ける結果に結びつく事がある。
理解出来ない物を、理解出来ない物として捉える事が、その時代を理解する為のポイントであるはずなのに、理解出来ない物を、理解しやすい物に改造する事は、その時代を理解する妨げにしかならない。




あれだけ広範囲に広がった戦域と、あれだけ長期間に渡った戦いの中で、軍の命令による集団自決を主張しているのは、実は沖縄戦だけである。
様々な地域で集団自決が発生したし、様々な地域で日本軍と民間人が共存していたが、軍からの命令による集団自決が発生したと言っているのは、沖縄戦に関するものだけだと言ってよい。
これを、沖縄だけ特殊な環境だったと見るなら、今ある軍部批判を基礎資料とする事は出来ないし、沖縄だけ特殊な環境だった訳ではないとするなら、様々な地域で、軍の命令による集団自決が行われた事になるはずなのだが、そのような証言は聞こえて来ない。




「命令」という言葉を考えた場合、軍が命令出来る範囲や権限があるのは、軍の組織内だけであろう。
沖縄戦に関しても、沖縄にいた軍の命令の及ぶ範囲は、まずは軍の組織内だけだった訳で、民間に対して直接命令出来る権限は、いかに戦争中であろうとも軍部には無い。
例えそれが戦闘中であったとしても、そもそも軍が民間に命令出来る慣習が無かった以上、自決命令を軍が民間人に下すという発想自体、持ち合わせていなかったのではなかろうか?
これは組織論として当然な事で、組織を飛び越えて命令するなんて事は、組織を破壊する行為であり、軍が民間に協力を求める事は出来ても、民間を指揮する内務省直轄の県や知事がある以上、民間人に直接命令する事は出来ないし、もし軍が民間に命令する事が当たり前になっていたなら、集団自決が発生した他の戦地において、同様の話が出ていておかしくない。




軍が民間に協力を求める事は実際にあり、それが度を越して横暴と取られるレベルに達していたのは事実だろう。
しかしそれは、民間に回すべき資材を、優先して軍に回す事を強要される等のレベルであって、例えば沖縄戦の場合で言うなら、民間人が避難していた洞窟や墓を、反撃の為の陣地として奪う事が該当するけど、確かにこれは度を越した協力要請である。
しかしながら、捕虜となる事をモラルとして戒められていたのは、実は日本軍の軍人だけであったのであり、民間人に関して言えば、捕虜となる事をモラルとして戒めたりは軍部はしていない。
民間人を戦闘に巻き込まないというのは、日本軍とアメリカ軍の双方に存在した意識であり、結果として巻き込んでしまったが、軍人と民間人との間には、ハッキリとした区別があったのは事実で、もし日本軍に区別が無かったとしたら、民間人に紛れ込んだゲリラ戦を行っていただろう。




「生きて虜囚の辱しめを受けず」という、戦陣訓の影響を言う人がいるけど、戦陣訓が発表されたのは真珠湾攻撃と同じ年の1月で、日本軍の内部に浸透させる程の時間や暇は無かった。
そういう思想があった事は事実だけど、戦陣訓を絶対の規範にする時間は無かった訳で、軍人勅語みたいに絶対的な存在には、軍隊内部ではなっていなかった(どちらかと言えば馬鹿にされた)と言うのが、当時の兵隊の証言として残っている。
これを絶対的な物として広めたのは、その当時のマスコミであり、その影響を大きく受けたのは、実は民間人だけだと言える訳で、「生きて虜囚の辱しめを受けず」を民間人レベルにも通用させたのは、マスコミの影響だと言ってよい。




上記から考えてみると、集団自決を命令したのは、他ならぬ沖縄の人達だったのではなかろうか?
民間人として、敵であるアメリカ軍に保護される資格がありながら、本来民間人には関係ないはずの戦陣訓を常識として、虜囚となる事を拒んだのではないだろうか?
もしそうだとすれば、他の地域で発生した集団自決とも辻褄が合う訳で、軍隊内部では浸透しなかった戦陣訓を元に、辛い状況から逃れる為の集団自決という選択を、軍からの命令として昇華させたのではないか?
そのように辛い選択を、民間人である自分達の選択として認めず、軍からの命令として記憶を変えてしまう事が、遺族に残された精神的な解決策であるように思う。




日本軍という巨大な組織は無くなり、戦陣訓が日本軍の中で冷たい扱いを受けていた事を語る人も少なくなった。
同様に、沖縄戦を直接知る民間人も少なくなり、戦陣訓が民間の中だけでは崇められていた事を知る人も少なくなった。
そして、なぜ民間人の中だけで崇められたのか、誰が崇めるように宣伝したのかを知る人も、無責任なまま少なくなっている。




そのように無責任なまま、戦後は平和を宣伝してきたマスコミには、自分達の総括をする考えは無いのだろうか?
いつも誰かを責めるばかりで、自分達の戦争宣伝の効果や弊害を責めないのならば、また戦争宣伝を無責任に繰り広げる事だろう。




その結果が、あの戦争における、民間人の集団自決だと思う。
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