先に「障害者自立支援法」について思うところを書きました(http://ameblo.jp/rintaro-o/entry-10014212676.html )。ここのコメント欄にはありませんが、とある場所にリンクを張ったところ色々なご意見を頂きました。拙文に対する真摯なコメント、痛み入ります。


【議論の流れ(mixiですので入っていない方は見られません)】

http://mixi.jp/view_bbs.pl?id=8350406&comm_id=135204

http://mixi.jp/view_bbs.pl?id=8350388&comm_id=269496


 印象に残ったものの一つに、「あなたのような健常者で不自由なく生きている人には分からない」というご意見がありました。そうなのかもしれません。私は健常者で、これまで障がい者行政に携わったことはありません。畢竟自分自身で実感できない部分があるのは事実です。それは私にはどうしようもない属性ということになるでしょう。また「今回の障害者自立支援法は現場の声を聞くことなく策定された」という声もよく聞きました。その声は私自身常に胸に強く刻み込んでいます。

 ただ、一点反論を恐れずに言えば「正論なのだけど、それを言われると私にはどうしようもない」ということです。障がい者にこれまで縁のなかった人間が、障がい者行政について口を開いた結果(特にその見解が多くの障がい者の方の意に沿わない場合)、「あなたはその障がい者のことなど分からない」とのみ言い切られてしまうのであれば、口を開くのも躊躇われてしまいます。そこから先には議論が存在しなくなります。
 障がい者行政は多くの人に理解してもらえるようになるべきだと思います。そのためには多くの健常者の方が議論に参入してくることが必要です(そもそも障がい者行政を立案、運営するのは健常者の人達が大多数です。)。そして、それらの人々は色々なことを言うでしょう。その発言が自己の見解と相反することについて「健常者には分からない」の正論で言い切られると、多くの人は議論に参入してこれなくなり、「(部外者が入ってこれない)聖域化」してしまいます。そして、障がい者行政という世界が言論の聖域化することは、私は残念なことだと思っています。私がこれまでの人生で見聞きしたものの中で、どのような論点であっても聖域化することで物事が好転したケースはありません。


 という思いで、もう少しだけ「火中の栗」を拾って問題提起をしてみたいと思います。どちらかというとあまり方向性を出すことなく大きな部分での問題提起だけにしておきます。書いてしまった後、なんとなくアンケートっぽくなってしまったなと思いますが、別に何かを調査するつもりは全くありません。あと、「その他」としているのは、想像力の欠如から私が思いつかない様々な見解があることを考慮して設けたもので、特に「その他」に属する見解を軽んじているということでもありません。


(総論)
● 「障害者自立支援法」をどう捉えるか。
(1) 現在の財政状況を踏まえればやむを得ない。
(2) 「身体障がい、知的障がい、精神障がいの制度の一元化」、「義務的経費制度の導入」など評価できる部分もあるので、今後「1割負担」の部分を改定していくことで対応できる。
(3) 幾つかの改善部分はあるが、そもそもそれらは「1割負担」を受入れさせるためのアメに過ぎない。制度全体として受入れられない。
(4) その他


(各論)
● 障がい者行政にコストの考え方を持ち込むことは如何なる意味においても認められないか(言い直すと「応益負担」の考え方は全く認められないのか。)。
(1) どういう条件であっても認められない。障害者自立支援法における1割負担は全くナンセンスである(「定量化の考えを障がい者行政に持ち込むことは一切馴染まない」というご意見も頂きました。)。
(2) 今の制度では生活保護や障害者基礎年金は額が少なすぎる。所得補償がしっかりして、生活の基盤が確保されるのであれば応分の負担をすることは受入可能(その場合は日々の生活をしていくために必要な生活水準がどの程度なのかという議論をしていくことができるでしょう。)。
(3) どう変更を加えても「応益負担」的な負担制度は認められないが、純粋に「応能負担」的な負担であればすべてのサービスについて有料化することを受入れることができる(その場合、例えば1割負担はダメだが●%(●は10未満の数字)なら大丈夫といった議論になります。)。
(4) その他


● 入所施設、通所施設での食費等や入院時の食費等については基本的に実費負担となっている(上限は設けられているとはいえ、その部分が一番大きな負担増になると思われる。)。特に食費は施設使用の有無にかかわらずかかる費用との発想から、このような制度になったと思われるが、この点をどう考えるか。
(1) 費用負担を求めるための単なる詭弁に過ぎない。
(2) たしかに食費はどうやってもかかるものなので実費となることも分からなくはない。ただ、負担の水準が高すぎる。
(3) たしかに食費はどうやってもかかるものなので実費となることも分からなくはない。ただ、もう少し口に合うものにしてほしい。
(4) その他


● 国が1/2を義務的経費として負担するとはいえ、都道府県が1/4、市町村が1/4の負担となる以上、事実問題として、地方自治体の財力によって認定の方法に差が出てきて、その結果として給付の水準に差が出ることは否めない。この点をどう考えるか。
(1) 憲法第25条の規定を踏まえれば、国が全部負担する制度とするのが本来正しい姿である。
(2) 地方分権の中、ある程度の差が出るのは否めない。後は各地方レベルでできるだけ差が生じないように働きかけをするしかない。
(3) その他


● 障がい程度判定区分が106項目もある、福祉サービスの種類も30余ある、種々の減免規定はあるもののどれをどう活用すればいいのか分からないなど制度が複雑化しており、地方自治体は混乱している模様である。制度上、本来届くものが届かなかったりして非常に難儀している方が多い。この現状をどう把握するか。
(1) 初年度はどうしても慣れないので制度運営が難しくなるのは否めない。その一方で、障害者の方々の状況を正しく把握するためには、どうしても種々の要件が複雑化することはやむを得ない。長期的な改善を期待。
(2) 今の制度は机上の空論。市町村が対応できないような制度を作ること自体がおかしい。自分は、もっと簡素な制度にするための対案を持っている。
(3) その他


● この法律でサービスは充実するか?

(1) 種類も整備されて充実するのではないかと思う。

(2) 評価できる部分もあるが、就労支援から介護まですべてが一緒くたにされてしまい不本意(何故普通の生活をするだけでお金を取られるのか等)。もう少し整理してほしかった。

(3) どんなに充実しても1割負担の原則がある以上、一切評価できない。

(4) その他


 自分の経験を踏まえて言うと、霞ヶ関(官僚集団を指します)というのは膨大なデータと緻密な論理でやってきます。それに打ち勝つのは並々ならぬ努力を要します。私も障害者自立支援法について色々と人に話を聞いてみたり、実際に障がい者の方と話したり、資料を色々と探してみましたが、痛切に感じるのは「この組み立てられた理屈を突き崩そうとするのは大変だ」ということです。


 最後に、一般論として霞ヶ関の壁を突き崩すための要件を並べておきます。
(1) 当事者の熱い思い
(2) それを支える事実関係に関する情報と緻密な論理性(データ)
(3) 世論の盛り上がり
 常にこのすべてが揃っていないと動かないかというとそうでないこともあるのですが、この要件が揃えば揃うほど物事は動きやすいです。熱い思いと十分なデータが揃っていても世論のバックアップがなければ、霞ヶ関はなかなか振り向かないでしょう。逆に世論のうねりというのは霞ヶ関が有しないツールですので、これが得られる場合は霞ヶ関は弱いです。熱い思いと世論のバックアップだけで物事が動くことはありますが、しっかりとした理屈が通ってないと霞ヶ関はとてもとても嫌な顔をします(よくあるのが、高裁又は最高裁での判決が事実関係の解明と論理を提供するケースです。)。データが揃っていて世論の盛り上がりがある場合は通常、その前提として当事者が熱い思いを持っているのが常だと思います(したがって、正確にはまず(1)があって、それに(2)と(3)が具備されることが必要という言い方になります。)。
 本当は上記3つが具備された結果、霞ヶ関の壁を崩して世の中が動いた具体的なケースを列挙すればいいのですが、色々と差障りがありそうな気もしたので止めておきます。ただ、言わんとするところは理解してもらえると信じています。