障害者自立支援法という法律が去年の特別国会で成立しました。あまり一般の方にはなじみのない法律なのですが、当時国会周辺では障がい者の方々が「障害者自立支援法反対」の声を高く上げていました。これまでも支援費制度というかたちで、障がい者保険福祉行政では介護、訓練、医療等のサービスを受ける際に給付がなされていたのですが、それを色々と変える法律です。


 この法律で障がい者行政の中でも色々なことが変わります。内容を私が噛み砕いて説明するよりも、厚生労働省のサイトを見てもらう方がよく分かると思いますので、リンクを張っておきます。


http://www.mhlw.go.jp/topics/2005/02/tp0214-1a.html

http://www.shakyo.or.jp/pdf/pamphlet.pdf


 まあ、身体障がい・知的障がい・精神障がいの一元化は、これまでの支援費制度で対象でなかった人(精神障がい者)をも取り込んで一元的に障がい者にサービスを提供するという点で評価していいのだと思います。


国と市町村の関係を明らかにしたのも基本的にいいのですが、この法律、障がい者の認定基準が複雑だったり(106項目のチェック事項がある)、費用負担の除外規定が複雑だったりして、非常に市町村に対する行政負担が重くなっていて、「ホントにやれるの?」という疑問が払拭できません(といっても、何か名案があるわけではないのですが)。そもそも、畑は違うとはいえお役人をやっていた私ですら理解が難しいので、市町村のお役所の方々に制度全体を理解してもらえるかね?と疑問になるくらい複雑です。実際に市町村レベルでは作業がかなりずれ込んでいるという話も聞きます。


あと、これまでの支援費制度は裁量的経費で予め決められた予算の範囲でやるという体制だったので、地方毎に提供するサービスに差があったり、予算が尽きてしまえばそれまで、ということだったりしたのですが、そこを義務的経費にしたというのも評価していいのでしょう。


 ただ、この法律で一番大きいのはいわゆる「1割負担」の制度の導入です。この法律では介護給付(ホームヘルプ、入所介護、生活介護等)、訓練給付(自立支援、就労以降支援等)、自立支援医療、補装具については、サービスを受けるために1割の負担が必要になるということです。特に施設での食費等実費負担については、しっかりと負担を求めていこうということのようです。これまでは「応能負担(能力に応じた負担)」の考えの下、事実上、過半数の障害者の方が負担免除だったりしたのを「応益負担(受ける便益に応じた負担)」に変えていこうということです。それを前提に、残りの部分については国や地方自治隊が9割を義務的に負担すると体制に移行します(公的負担部分は国が半分、県と市町村で1/4ずつの分担)。義務的経費については概ね4000億円程度になると言われています。


 勿論、障がい者といっても生活保護の人、障害基礎年金を貰っている人、両親等が比較的裕福な人と色々な類型があるので、すべての人に一律と言いつつも、様々な除外規定や減免措置が設けられています。事実上、「応益負担の旗は掲げつつも応能負担に限りなく近くした」というのが厚生労働省の説明です。しかしながら、障害者の方々にとって負担が増加するのは事実です。生活保護の方でも2万円くらいの負担増(主として施設等での食費分)になります(実は生活保護の給付の方が障害基礎年金よりも多いという逆転現象があり、本当に厳しくなるのは生活保護を受けずに頑張っている障害者の方々だという指摘もあります。)。厚生労働省の試算では、この制度を導入しても、どんなに生活が苦しい人でも2万円程度のお金は残るので大丈夫ということですが、障害者の方々に聞いてみると、散髪したり、雑費があったりで色々なお金が出て行くので、生活は確実に苦しくなります(負担が増えるので生活にしわ寄せがくるというのは誰にでも分かることです。)。


現在、これに対して大きな反発が出てきています。論者によっては「障害者自立支援法のせいで生活が立ち行かなくなり、人生をはかなんで自殺する人も出てきている」という人もいます。私はその因果関係を説明することはできませんが、生活苦に命を絶たれる方がいるという事実はいつも忘れないようにしています。


 ところで、この「1割負担」を私なりに纏めると「今まで多くの障害者にとって無料又は相当に廉価だった諸サービスが、種々の減免措置があるとはいえ有料になる。」ということです。率直に言えば、無料だと人は無限にサービスを使ってしまうし、サービス提供者も自己の提供するサービスを向上させる動機が低いという考え方があります(障がい者の方に聞くと、施設の食事(実費負担が強化)が口に合わないという話がよく出てきます。)。有料にすることで、この構造に歯止めをかけたいという意図があるのでしょう。真偽の程は定かではありませんが、この法律により300億円程度の支出縮減効果があるとも言われています。


ここで思うのは、普通の行政においては当たり前のことですが、障害者行政においてコストの概念そのものを取り入れることが是か非かということが議論されるべきだったと思います。あたかも世間では「負担が1割になるのがけしからん」的な議論でしたが、問題提起はもっと正確であるべきで「1割以下の(ゼロでない)水準から1割になる」ではなくて「(過半数以上の障害者の方の負担は)ゼロ又は殆ど負担がない状態から1割になる」ということだったのです。


 これについては、色々な考え方の人がいるでしょう。大まかに次のように分けることができるでしょう。

障がい者といえども受けたサービスに応じた必要な負担はしてもらうべき。でないと、行政の負担は青天井だ。しかも、今の障害者施設のサービスは改善の余地あり。コストを払うようになると利用者も施設を選別するようになるから、サービス改善努力をするようになるのではないか。

そもそも、障がい者は好き好んで障がい者施設、介護、訓練等のサービスを受けているのではない。ギリギリの生活の中でやむを得ず使用しているだけ(施設の食事は口に合わないけど、それ以外の可能性がないから食べている等々)。あたかも障がい者が無駄遣いしているかのような前提で議論をするのは不本意。負担したくても生活の糧がない中、限られた障害者年金等で生活しているのが現状。


私は行政官をやっていたので、どうしても「(障害者自立支援法の内容の是非はともかくとして)一定の負担は避けられないのではないか」という考え方に傾いてしまいます。しかし、それを「優しさが足らない」、「障がい者の現状が見えていない」と批判される方の声もよく分かります。


ただ、これからこういう内容の法律が出てくる機会は増えるでしょう。財政が圧倒的に赤字の中、社会的に弱い立場に置かれている人にも負担を求める要請は非常に強いです。しっかりと社会的なコンセンサスを作っていく努力が必要です(←こういうモノの言い方はあまり中身がないので本当は嫌いなのですが)。今回、ちょっと「?」と思ったのは、上記にも書いたように問題設定が若干不十分だったことです。本当に社会全体のコンセンサスを作りたいのであれば、事実関係、プラス・マイナスをすべて明らかにして、「それでも障害者行政にコストの感覚を持ち込むことには反対」という論陣を張るべきだったのです。単に「障がい者は弱い立場にあるから」費用負担反対というのでは議論に社会的な盛り上がりを期待することはできないと思います。提案されている施策に対して、正面からプラス・マイナスを明らかにして、「それでも反対なのだ」という理念系のところで論陣を張って戦うことが求められているような気がしてなりません。どんな議論でもそうですが、プラスだけ、マイナスだけしか述べずに特定の立場を訴える議論は多くの支持を得られません。


この法律案審議の中で、当時の尾辻厚生労働大臣が苦悩の表情で「自分としては財政面での要請の中で、応益負担をできるだけ応能負担にするように尽力した」と言っていたのが私は非常に印象に残っています。つまり「1割負担の制度を新設したけど、減免措置等で色々な除外規定を設けたので、負担するのが困難な人には無理を強いることのないよう最大限配慮した」ということです。ドミニカ移民訴訟などで非常に頑張っていた同大臣は社会的弱者の救済に対して非常に積極的な人でした。その大臣が苦渋の決断をしたということです。その思い、推し測るに余りあります。あの尾辻大臣の表情にこの法律の抱える諸問題の本質が体現されているような気がしてなりません。