“Memorias del subdesarrollo”( いやしがたい記憶➡「低開発の記憶」) | MARYSOL のキューバ映画修行

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【キューバ映画】というジグソーパズルを完成させるための1ピースになれれば…そんな思いで綴ります。
★「アキラの恋人」上映希望の方、メッセージください。

とうとう念願の映画 『Memorias del subdesarrollo』を紹介する機会がやってきました。日本では1987年に映画祭か何かで上映されたそうですが、あいにく私は見ていません。(現在日本でこの作品を“字幕つき”で見ることは不可能と思われます。)

 

 

でもキューバ映画について知れば知るほど、「第一番に」と言ってよいほど重要な作品であることが分かってきました。

 

また、最近活躍し始めた若手監督の作品には、この映画が何らかの形で引用されていることも多く、その意味でも「必見」だと思います。

 

 

私にとっても“語りつくせない”映画なので、今回はかなり詳細に映画の展開を紹介することにしました。

 

 

 

下の写真はICAICで写した同映画のポスターの写真です。(見難くてスミマセン)

 

“分かりにくい”、多様な解釈ができる”作品だということが、ポスターからも見て取れると思います。

それにストーリーよりも、シンボリックなイメージや台詞に深い意味が込められています。

 

 

本当は皆さんに見てもらって、一緒に謎解きを楽しみたいのですが、それが出来ないのが本当に残念!

 

でもいつまでも“幻の公開”を待ってもいられないので、ブログで紹介していくことにしました。

少しでもこの作品の価値が伝われば良いと願っています。

 

 

      Memorias del subdesarrollo

 

「Memorias del subdesarrollo」 『いやしがたい記憶』)

1968年/モノクロ (96分)


原作:エドムンド・デスノエス「いやしがたい記憶」

脚本:エドムンド・デスノエス、トマス・グティエレス・アレア
監督:トマス・グティエレス・アレア
撮影:ラモン・F・スアレス
音楽:レオ・ブローウェル
編集:ネルソン・ロドリゲス
美術:フリオ・マティージャ

 

 

概要

 

 §オープニング・クレジット

夜、アフロ系音楽が演奏されている野外ステージ。
大勢の人々が踊っている。
突然、銃声がする。
混乱する群衆をかき分けながら立ち去る男。
負傷者が運ばれて行く。
再び、何事もなかったかのように人々は踊る。
大きな目が印象的な黒人女性の顔のクローズアップ

 

 

§本編  

 

 注:「―斜体―」は映画の台詞(主に主人公セルヒオのモノローグ)をMarysol が翻訳して紹介。

 

 

1) 1961年のハバナ
空港は国外脱出するブルジョア階級の人たちでごった返していた。

 

 

 

2) 主人公のセルヒオは、マイアミに脱出する両親と離婚した妻ラウラを見送った後、一人で瀟洒な自宅アパートへ戻り、執筆活動を始めようとする。
だが、すぐに行き詰まる 「長年 思い続けてきた。時間ができたら、腰をすえて小説か日記でも書こうと。だが果たして、私に書くべきことなどあるのか?」

 

 

 

3) アパートのバルコニーに備え付けてある望遠鏡で街の様子を見るセルヒオ。何も大きな変化はない。

 


妻との口論を録音したテープを聞く。

 

 

4) ハバナの街を歩くセルヒオ

 

本屋で 『Moral burguesa y revolución (ブルジョアのモラルと革命)』(Leo Rozitchner著/1963年/ブエノスアイレス)を買う。


さびれた街の光景と人々の虚ろな表情。 

 

 

5) セルヒオは友人のパブロが運転する車に乗っている。
パブロは「キューバが米ソ対立の犠牲になる」と言い、渡米する決意を明かす。

 

 

 

6) パブロと自宅に戻ったセルヒオ

 


ドキュメンタリーフィルムの挿入:ピッグス湾侵攻事件とその後の捕虜公開裁判のようす(前述の本『ブルジョアの倫理と革命』の記述をナレーションに引用している)


搾取と犯罪の上に成立していたブルジョア階級のモラルと責任、良心が問われる。

 

 

7) 通いの掃除婦ノエミが来る。

 

 「今まで気にも留めなかったが、好みのタイプだ」
彼女の洗礼式の話を聞いて、セルヒオはエロチックな妄想を膨らませる。

 

 

8) セルヒオは、偶然に通りで見かけた若い女性エレナを食事に誘う。
彼女が女優志望と知り、ICAIC(キューバ映画芸術産業庁)に友人がいると言って関心を引く。
翌日、二人はICAICを訪れ、エレナは簡単なテストを受ける。

 


帰り道、セルヒオはエレナを自分のアパートに誘い、肉体関係を結ぶ。
行為のあと泣くエレナをなだめすかし、妻が残していった服を持たせ帰らせる。
「ママになんて言えばいい?」 「何も言う必要ないさ」

 

 

9) 翌日、エレナがケロッとした様子で訪ねてくる。
彼女のはしゃいだ様子に、セルヒオは戸惑いを覚える。
「エレナにはまるで一貫性がない。ものごとを関連付けることが出来ないのだ。それこそ後進性の証だ」

 

 

 

10) キューバを去りアメリカに行くパブロ夫妻を見送りるセルヒオ
「革命で私は破滅するかもしれない。だが、それはキューバの間抜けなブルジョアジーに対する私からの報復だ。パブロのような馬鹿に対する報復」 「パブロは私自身なのだ。嫌悪の対象」

 

 

 

11) カトリック系の私立学校に通っていた頃の回想シーン
「学校では常に神父たちが正義だった。権力をもっていたからだ」
「初めて正義と力の関係を理解した」

 

 

初体験は13歳のとき。友人が毎週通っていた売春宿に案内されたときだった。

 

 

12) 彼はエレナを自分好みに仕立てようとするが、二人のギャップは広がるばかり。「私はいつもヨーロッパ人のように暮らそうとしていた。だがエレナからは絶えず後進性を見せつけられた」

 

 

 

 

ヘミングウェイ博物館を訪れた日、決裂は決定的となり、セルヒオは彼女を避け始める。

 

 

13) 国立図書館で「文学と後進性」をテーマに討論会が開催される。
壇上のパネラーは凡庸な道化のごとく、ただ原稿を読みあげたり、新鮮味のない意見をもっともらしく述べ立てる。
閉塞化する雰囲気のなか、聴衆のJack Gelber(アメリカの劇作家)が意表を突く発言をする。
「キューバ革命が完全な革命なら、なぜ討論会なんて古臭い形をとるのですか?」「もっと他に革命的な方法があるのでは?」

 

 

セルヒオの“内なる混迷”はさらに深まる。

 

 

14) セルヒオの生涯で最良の思い出、ヨーロッパ女性(ユダヤ人)ハンナとの恋愛の回想シーン
二人は結婚するつもりだったが、ハンナは家族とニューヨークに移住してしまう。セルヒオは彼女を追って行く予定だったが、父親から家具店を贈られ、キューバを離れられなくなり、やがて彼女から別れを告げられる。

 

 

 

15) 革命防衛委員会の訪問調査で、現在のセルヒオの暮らしぶり(没収された不動産の補償金で生活)が客観的に明らかになる。

 


サンテリアで使用する「目」の画像と“捕まえるぞ(Te estoy cazando)”の文句が映る。

 

 

16) 街へ出たセルヒオは、デモをしている人々と反対の方向に進む。

 


オープニングの野外ライブシーンが再現され、今度はセルヒオの姿が人々の中に見える。
セルヒオのモノローグ私は38歳の老人だ。賢さも成熟も無縁。むしろ馬鹿で“熟す”前に“腐っている”」「私の人生はスカスカの奇怪な植物。葉は大きいが、実が無い」

 

 

17) エレナの兄が抗議に訪れ、“レイプ”の償いを求める。
セルヒオはエレナの家族と対峙する。エレナの家族は、結婚や処女性について旧来の価値観をひきずっている。
警察沙汰を怖れるセルヒオは、エレナとの結婚も考えたが思い直す。

 

 

 

18) レイプの嫌疑で裁判を受けるシーン
無罪となるが、「なぜか気分は晴れない」
「無罪と言うには私は多くを見過ぎた。有罪と言うには、彼らの頭の中の闇は暗すぎる」

 

 

 

19) 「ケネディ大統領が突然ワシントンに戻った」ことを伝える新聞
「戦争の予感に戦慄するワシントン」という見出しが躍る紙面には、そのほかにも多種多様な記事が掲載されている。なにやら暗示的なマンガも。

 

 

 

20) ノエミが洗礼式の写真を持ってくるが、想像していた官能的な光景と違い、セルヒオは幻滅を味わう。

 

 

 

21) 10月22日、ミサイル危機。ケネディ大統領の演説
人々は攻撃に備え、着々と街の防衛体制を整える。

 

 

 

カストロのテレビ演説 「祖国か死か!我々は勝利する!」

 

『武器を取れ』のポスター。

 

 

22) 夜、眠れずに室内を動き回るセルヒオ

 

ライターをいじる音が時計のように聞こえる。

 

 

23) 夜明け。セルヒオのアパートのバルコニーから俯瞰するハバナの街
バルコニーにセルヒオの姿はない。

 


マリオ・ピエドラ教授のコメント:

http://ameblo.jp/rincon-del-cine-cubano/entry-10005608619.html

 

追記:

「いやし難い記憶」というタイトルでご紹介していますが、2007年の日本公開時に「低開発の記憶」という邦題が付きました。拙ブログでは関連記事は「メモリアス」というテーマに分類されています。