日本人の感性 | MARYSOL のキューバ映画修行

MARYSOL のキューバ映画修行

【キューバ映画】というジグソーパズルを完成させるための1ピースになれれば…そんな思いで綴ります。
★「アキラの恋人」上映希望の方、メッセージください。

「イメージのジャンプ力」(8月2日・記)で、俳句に見られるような“日本人の感性”とアニメについて憶測を書きましたが、今日(7日)の朝刊(日経)の「連句で遊ぶ」という記事に、興味深い指摘が出ていました。
一部引用すると

「一見、関係のない句を付け、別の意味や情景を浮かび上がらせる手法は、映画のモンタージュ理論になぞらえられる。映画『戦艦ポチョムキン』で、監督のエイゼンシュテインは「恐怖に引きつる女性の顔」「逃げまどう人々」「階段を転げ落ちる乳母車」といったカットを重ね、観客に危機的状況を直感させるモンタージュ手法で映画史に名を残した。若き日に日本文化を学んだ彼は著作の中で、歌舞伎や俳諧に見られるこの手法に言及している」


実を言うと、昨年ハバナでマリオ先生から映画の講義を受けているとき「エイゼンシュテインは日本の漢字からヒントを得て、モンタージュ理論を生み出した」と、聞きました。それで「歌舞伎や俳諧、それとも漢字のどちらからヒントを得たのか?」と知りたくなり、ネットで調べてみたところ、「両方」だったんですね。
検索結果とマリオ先生から聞いた説明を要約すると・・・


 エイゼンシュテインは日本文化に対して強い興味を持っていた(有名な話らしい)。
1928年、歌舞伎モスクワ公演を観劇し、歌舞伎の“分解された演技”から映画の「クローズアップにして繋いでいく手法」、“緩慢な動き”から「スローモーション効果」のヒントを得た。また漢字の成り立ち《偏と旁(つくり)の組み合わせによって異なる意味が生み出せる》は、それぞれ別個のショットとショットの組み合わせ(対立的構成)によって、画面に“ある概念”を示唆させるヒントになった。


ということで、異文化が出会うとスゴイ(文)化学反応が生じるものですね。


現代では「オタク」が新しい潮流を起こしつつある気配。
今年の春に放映されたテレビ番組「オタク趣味と都市の変容」(2004年度ベネチア・ヴィエンナーレ展より)によると・・・
☆1970年に開催された「大阪万博」は、国家や科学技術がもたらす明るい未来を描き出したが、ベトナム戦争など、それらの威信を失墜させる現実に、人々は夢の対象を虚構の未来へ移すようになる→「オタク」の出現。
☆その「オタク」が架空のキャラクター(特定要素)に対して抱く“ときめき”が「萌え」という“オタクの美意識を表すキーワード”(ナントそこには「侘び」「寂び」という“屈折した美意識”が見られるとのこと・・・気づかなかった!)。
☆“キャラクター”に向かう傾向のある男性に対し、女性は“同人誌マンガ”に向かう。その“同人誌マンガ”の特徴のひとつが「同性愛のテーマ」。


ヴィエンナーレの日本館を訪れた、可愛い娘づれの30代後半に見える男性は、会場でインタビュアーに感想を求められると「ヨーロッパにはありえない自由な表現。同性愛やティーンエージャー同士の愛とか全く型にはまっていない」「僕は建築家だから空間の取り方に興味を惹かれる。すごく変わった遠近法だ」と答えていました。


これを聞いて思ったのは「イタリアは“愛”に関して、日本より自由で奔放だと思っていたのに、日本の方が自由なの?」「やはりカトリックという伝統は根強いのかな?」という疑問。(そういえば時々外国人から「オオシマ・ナギサの“アイのコリーダ”はスゴイ!」と感嘆の面持ちで言われる・・・)
と同時に「私たちが当たり前に思って気づかないことを、異文化の人は気づく」という事実。日本のマンガのユニークな点が具体的に分かりました。


先月末に来日したベネチア映画祭のディレクターは「ベネチア映画祭は日本映画のバイタリティーと常につながっていなくてはならない」今の西洋映画の活力は日本映画から来ている」と断言したそうです。


“創造的”な異文化の接触は、世界を楽しく豊かにしてくれるから好いですよね。
キューバも文化的に“融合(フュージョン)が得意。今後の活躍を期待しています!