フェルナンド・ペレス監督の略歴 | MARYSOL のキューバ映画修行

MARYSOL のキューバ映画修行

【キューバ映画】というジグソーパズルを完成させるための1ピースになれれば…そんな思いで綴ります。
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フェルナンド・ペレス監督の略歴

(参考資料:La vida es un silbo: Fernando Perez/Mercedes S. Moray著)
ペレス監督はドキュメンタリー制作を通して、キューバや他国の日常的な現実に即した証言を拾うこと、迅速な対処、映像的思考、ジャーナリズムを学んだ。その経験は、技術的にも方向的にも監督業のベースとなっている。

Ⅰ修行時代(フィクション制作以前)

1944年11月19日生まれ
*幼少時から映画に親しみ、映画制作を夢見ていた。


1961年頃:高校卒業の資格はもたないが、プーシキンやドストエフスキーに対する関心から語学専門学校でロシア語を学ぶ。

1962年:ICAIC(国立芸術映画産業庁)に入り、制作アシスタント兼通訳として働く。
*当時はまだ映画を学ぶ専門の学校がなかったので、監督になるための教養を身につけるためハバナ大学に入学し、ICAICで働きながら文学部で学ぶ。
シナリオだけでなく、小説も書く下地が培われる。
注)1982年、ニカラグアを題材にした証言小説『Corresponsal de Guerra(戦争特派員)』で、カサ・デ・ラス・アメリカス賞を受賞。

*自らを“イメージ”を通して考えるタイプ(理論化や概念化はしない)と評し、自分自身の生きた体験を創造のベースにしている。
ちなみに自身の発案によるシナリオは 『危険に生きて』 『マダガスカル』 『口笛高らかに』

*ICAIC情報センターに在籍中、同僚のヘラルド・チホーナやダニエル・ディアス・トーレス等と制作補助をしたり、機関紙「エル・シネ・クバーノ」に記事を書く。
とりわけソビエト映画に詳しくなり、批評眼が養われた。


1971~76年:助監督デビュー  故トマス・グティエレス・アレアをはじめ、様々な監督の助監督を務める
*70年代の映画監督志望者にとり、ドキュメンタリー映画制作の経験は、キューバ映画の伝統の継承者として必須だった。
しかし、彼が本当にやりたかったのはフィクションだったので、ドキュメンタリーの制作本数は少ない。


1975~85年:サンティアゴ・アルバレスとニュース映画の制作をしたり、多様なテーマで14本のドキュメンタリー映画を制作する。
*故サンティアゴ・アルバレスは、キューバ・ドキュメンタリー界の巨匠であり、指針となる人物。 ペレス監督にとって「“人生について考え、自分なりの態度を取る”ことを教えてくれた“父”のような存在」だった。

1978年:『Siembro viento en mi ciudad』(わが街に風を蒔く)
     ブラジルのシコ・ブアルキを主人公にしたドキュメンタリー
*音楽を主体にした同作品をきっかけに、映像が醸しだす雰囲気に注目するようになる。 
*視覚イメージのもつ暗示力や感情や思考を促す作用は、彼の映画話法の特徴
*イメージの連携や競合による新たな表現方法の模索が始まる。
「私は音と同じくらい沈黙も大切にしているが、初期の作品は音響に力を入れすぎた」


1979年:『Monimbo es Nicaragua』 18分のドキュメンタリー
     サンディニスタ闘争への共感(自身のキューバ革命体験に根ざして)

1980年:『4000 ninos』(4000人の子供たち)
*子供たちの喜びと愛情を写し撮り、現実に根ざしながらもフィクション的概念を再現し、現実をさらに豊かにする。


1981年:『Mineros』(鉱山労働者)
*映像が伝える“気配(雰囲気)”の表現力という特徴がこの作品で見られるが、同時にインタビュー下手という欠点も露呈する。
「ドキュメンタリー作家としての経験はフィクションの映画制作にほとんど反映されていない。むしろドキュメンタリー作品がフィクション的だった」


1982年:『カミーロ』(革命の英雄、カミーロ・シエンフエゴスのこと)

1983年:『オマーラ』(キューバの歌姫、オマーラ・ポルトゥオンドのこと)
*彼のドキュメンタリー作品中、上記の2本は最高傑作と評価されている。
両作品に共通している特徴は、非ステレオタイプな作品で、因習的なイメージを打破しようと試みていること。
自然や社会との間に自由でのびのびとした人間的な対話があること。

 *『オマーラ』では、主人公の両親の恋愛のエピソードをドクドラマ(docudrama=ドキュメンタリーとフィクションの融合)に仕立てている。


1979~81年:ICAICラテンアメリカ・ニュース映画
*撮影担当のラウル・ペレス・ウレタと組み、新たな表現方を模索する。
すでに“批評的眼差し”が、彼のニュース映像には見て取れる。


Ⅱフィクションの世界へ

フィルモグラフィ

1987年 『危険に生きて』(原題:Clandestinos)

1990年 『ハロー ヘミングウェイ』(Hello Hemingway)

1994年 『マダガスカル』(Madagascar)日本未公開

1998年 『口笛高らかに』(La vida es silbar)

2003年 『永遠のハバナ』(Suite Habana) 2005年公開

 

2006年 Madrigal

                 *2007年 キューバ映画賞受賞

2010年 José Mratí: el ojo del canario

 

2014年 La pared de las palabras

 

2016年 Últimos días en La Habana (ラストデイズ・イン・ハバナ)

 

2018年 Insumisas (邦題:魂は屈しない)