続きです・・・
前回述べたように、楚(そ)の荘王(そうおう)は夏徴舒(かちょうじょ)の乱を鎮めた後、その母親である夏姫を楚に連れて帰るのですが・・・
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と、その後のことを語る前に・・・
今日はまず最初に、歴史に記録されていない闇の部分・・・
この頃の夏姫の心情を個人的に推察してみたいと思います。
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息子である夏徴舒が弑逆という大罪を犯したために、荘王に誅されてしまったわけですが・・・
それに対して夏姫は歴史的に寡黙です。
夏徴舒の死をどのように感じ、また夏姫自身はどうしたかったのか、というのが全く見えないのです。
実は、これはこの件に限った事ではなく・・・
端的に言ってしまえば・・・
史書に現れる夏姫の歴史は、イコール夏姫に関わった男たちの歴史であって・・・
史書には夏姫自身の言葉や意思はほとんど見当たらず・・・
関わった男たちが勝手に動いて勝手に自滅している・・・
というのがある意味正しい認識で・・・
つまりは彼らの行動や言葉・・・
客観的な事実から夏姫の心情を推察するしかないのですが・・・
今回の夏徴舒の乱の原因が自分にもある、ということは夏姫自身も十分に分かっていたでしょう・・・
そして、それにより唯一の肉親である夏徴舒を失ってしまったわけですから、たぶん自分の運命や業を恨んだことでしょうし、楚に連れてこられた時は生きる気力さえない、絶望の底にいたのではないでしょうか・・・
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話を戻して・・・
荘王が夏姫を楚に連れてきた理由は当然のことながら、夏姫を後宮に入れるためでした。
しかし、巫臣(ふしん)という臣に諌められます。
「夏姫を後宮に入れてはなりません。王は諸侯を招集して夏徴舒の罪を咎められたのに、夏姫を迎え入れたりすれば色を貪るためだった思われてしまいます。色香に迷うのを淫といい、淫は大罪を受けるものです。『周書(しゅうしょ)』にいう明徳慎罰の明徳とは徳の宣揚につとめること、慎罰とは罰の回避につとめることです。色香に迷って大罪を自ら招くならこれは慎罰とは申せません。どうかお考え直しください。」
さすがに名君である荘王はこの諌言を容れ、夏姫をあきらめます。
すると今度は子反(しはん)という大臣が夏姫を迎え入れようとします。
が、またしても巫臣は諌めます。
「夏姫は不祥の女です。三人を殺し(実の兄である夷、夏御叔、陳の霊公のこと)、息子である夏徴舒は誅を受け、二卿(孔寧と儀行父のこと)を出奔させ、陳を滅ぼさせたという、とんでもない不祥の女。そんな女を妻にするとまともには死ねませんよ。天下に美女は多いのです。あの女に執着することはないでしょう。」
これを聞いた子反は薄気味悪さを感じて夏姫をあきらめます。
結局、夏姫は連尹襄老(れんいんじょうろう)というかなり高齢な臣に下げ渡されます。
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ここで再び本題を離れて、この諌言をした巫臣という人物に迫ってみたいと思います・・・
何故かって?
この巫臣が夏姫の運命の男だからです(笑)。
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個人的に巫臣という呼び方に慣れているので、ここでもそれで通したいと思いますが、彼の本名は屈巫(くつふ)といい、字(あざな)である子霊(しれい)と表記されることもあります。
屈氏は楚王室から分かれた名門で、巫臣は荘王の覇業を補佐した名臣の一人になります。
蛇足になりますが・・・
字というのは今でいえばあだ名のようなものですが、名前となんらかの関係がなければならず、巫臣の名前は巫で字は霊、ということでなんとなく関係があるような気がしますよね?
ちなみに先程登場した子反の反は字ですが、彼の名前は側(そく)で、こちらも何となく関連性があるのが分かると思います。
*分からないヒトはごめんなさい。
現代の中国ではこの字の風習?はなくなってしまいましたが、同じように漢字を使う民族として、この時代の歴史をそういう視点で見るのも面白いですよ。
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本題に戻ります・・・
夏姫の悲劇はまだ続きます。
夏徴舒の乱があったのが前599年、荘王がその乱を鎮めたのが前598年になるのですが、前597年に楚と北方の大国である晋(しん)との間で大戦が勃発します。
後世、邲(ひつ)の戦いと呼ばれることになるこの大戦で楚は大勝し、荘王は中華の覇権をほぼ握るのですが、その戦いで夏姫の夫である連尹襄老が戦死してしまうのです。
再び寡婦となってしまった夏姫・・・
ある意味自由の身になったともいえるのですが・・・
周りの男どもが黙視するはずもなく・・・
今度は襄老の息子である黒要(こくよう)がその美貌の義母を強引に自分のものとしてしまうのです。
さて、夏姫にとって運命の男である巫臣・・・
彼がいつ夏姫に魅了され・・・
また他家にいる夏姫にどのように接触したのかは分かっていません。
しかし、彼は才人であり、悲劇に見舞われ続けている夏姫を救うべく魔術のような謀計をたて実行に移すのです。
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いつの時期かは不明ですが(連尹襄老が戦死した後であることは間違いないでしょう)、巫臣は夏姫にこう言います。
「生家である鄭(てい)に帰りなさい。私がそなたを妻に迎えるから。」
とはいえ、女身ひとつでたやすく出国できるものではありません。
そんなある時、楚の朝廷に夏姫の生国である鄭から知らせが届くのです・・・
続く・・・