7月31日以来記事をUPしていなかったんですね・・・
お久しぶりです(;^_^A・・・
しばらくの間忙しい日々が続いていたのですが、少し余裕も出てきましたので、また少しずつ記事をUPしていきたいと思います。
さて、ブログを再開(というほどではありませんが)するに当たり何を最初にUPしようか迷ったのですが・・・
というのも編集中途の記事がいくつかあるからなのですが・・・
今日はまずこちらから・・・
かなり引っ張っているシリーズ(笑)、『辛抱する』の第2弾です。
かなり苦労して完結した第1弾である重耳(ちょうじ)編の続き・・・
今回取り上げるのは夏姫(かき)という人物です。
辛抱する 序章 でも触れましたが・・・
夏姫は、歴史上の女性の中で最も会ってみたいと思っている人物でもあります。
え~と・・・
夏姫の生涯を紹介するに当たり、最初に断っておきたいのですが・・・・
夏姫に関する史書の記述は、夏姫が女性ということもあるのでしょうが、それほど多くはありません(私の知る限り)。
また、その記述も歴史というよりは伝説といった内容のものが多いのです。
ちなみに、その伝説(のようなもの)を真に受けると、夏姫は完全に悪女・妖婦・淫婦のイメージとなってしまうのですが、私自身は夏姫をそのようにみておらす、若い時期は運命・時代・男性などに翻弄され辛い時期を過ごしながらも最後にようやく幸せをつかんだ女性、という印象を持っています。
ですので、記事はそのようなスタンスで書いていきます。
実際の史実とは異なることになるかもしれませんが、そのあたりはご容赦くださいね。
では夏姫についてその生涯を略記してみたいと思います。
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夏姫の生没年は分かってはいませんが、紀元前600年頃を生きた女性です。
彼女の出身は鄭(てい)という国の公室で、父親は穆公(ぼくこう)という鄭の君主です。
地図を見て解るように鄭は当時の中華のど真ん中にある国です。
ちなみに、父親である鄭の穆公は、辛抱するの第1弾である重耳(晋の文公;前698~628)を頼ったことにより鄭の君主になれた人物で、即位元年が前628(あるいは627)年で没年が前606年になりますので、夏姫が生きたのは重耳の晩年からその後の時代というイメージになります。
さて、夏姫が歴史?に登場するのは10歳くらいの頃です。
諸説あるようですが、それは複数の男性と関係をもったという艶聞で、その相手は実の兄(母親も同じ)であり鄭国の太子である夷(い)と同じく鄭国の大夫(小領主)である子家(しか)・子宋(しそう)の3人です。
ただ異見を述べると、いくら時代が違うとはいえ、10歳やそこらの少女が自らの意志でそのようなことをするとはとても思えず、これは単に男側の欲望だったのか・・・
あるいはこの3人に限らずこの後夏姫と関係をもった人物は、ほぼ例外なく災厄に会うことになります。
この3人も後に災厄に会うことになるので、この話はあとから創造されたものなのではないか?・・・
という気もしなくはありません。
ちなみにこの3人、どのような災厄に会ったのかというと・・・
太子である夷は父親である穆公の死後即位するのですが、些細なこと・・・
本当に些細なことで子家と子宋により暗殺されてしまうのです。
当然ながら子家と子宋は弑逆の悪名を背負うことになり、子家に至っては亡くなった際に葬列が国人に襲撃され一族は鄭国を追放されてしまうことになるのです。
ここで、ちょっと本題を外れて成語のお勉強を。
「食指が動く」というのは、食欲が起こるということから転じて何かに関心をもったりしてみたい気持ちになる、という意味で使われる成語ですが、これはこの3人の故事が出典です。
どんな故事かというと・・・
夷が即位すると、南方の大国である楚(そ)から祝いの品として鼈(すっぽん)が贈られてきます。
*ちなみにこの時の楚王はこのテーマで何度も登場していて名君中の名君といえる荘王(そうおう)です。
夷はこの鼈をスープにして主だった家臣たちに振舞うつもりで調理させます。
子家と子宋もこれに含まれていたのですが、いっしょに参内する際に子宋の薬指がピクッと動き・・・
子宋はそれを子家に見せてこう言います。
「今までこういうことがあると必ず珍味にありつけた。」
そして部屋に入っていくと、まさに料理人が鼈を割いているではありませんか。
二人はそれを見て顔を見合わせて笑うのですが、夷に「なんで笑うのだ」と言われ、子家が今の話をすると、夷は子宋にだけ鼈を配らなかったのです(どうやら夷は子宋のことを元々嫌っていた模様)。
子宋は怒ってスープの鼎に指を突っ込み指をなめてから退出していくのですが、今度はその無礼に夷が怒って・・・
結局、こんな些細なことが発端で夷は暗殺されてしまうのです。
食べ物の恨みは怖い、とはいうものの・・・
う~ん・・・としか言いようのないお話です。
閑話休題・・・
さて・・・
やがて、夏姫は他家に嫁ぐ年齢になります。
やがて、とは言いましたが当時の女性は10代前半で嫁ぐのが普通だったので、夏姫もそのくらいの年齢で嫁いだものと思われます。
お相手は鄭の東南方にある陳(ちん)という国の大夫である夏御叔(かぎょしゅく)という人物でした。
夏氏は陳の公室から分かれた家で名門です。
そして、二人の間に男子が生まれます。
男子は夏徴舒(かちょうじょ)と名付けられました。
しかし、夏徴舒が生まれて間もなく、夫である夏御叔があっけなくこの世を去ってしまいます。
子宝を授かったのに人生の伴侶を失ってしまった夏姫・・・
でも、これはこの後続く棘の道の序章に過ぎないのです。
続く・・・