夜の蟲たち/1
2009年7月からリメイク連続更新中
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このカフェは陽が当たりすぎるようで、私は随分暑く感じました。
クーラーは効いているんだろうけど、私たちはテラスのテーブルについていたので意味がない。
それで、私は着ていた薄いカーディガンを脱いで、ノースリーヴのシャツだけになりました。
襟を立て直して、アイスコーヒーを一口飲みました。
横に座る彼女は特に暑さを気にしない様子でした。上着は着たまま。おまけに、彼女はホットコーヒーを注文していました。
ふわふわとした猫っ毛を、耳たぶが見えるくらいまで短く切ってあります。
彼女は、彼女の恋人と、友人の女の子と、その友人の女の子の彼氏とでひとつのアパートメントを借り、それで生活をしていました。
そして、お互いを助け合って平和に暮らしていました。
模擬家族?
それとも少し違って、私は非常に違和感を覚えながらよく彼女の話を聞いたものでした。
彼女の名前は「リョウ」と言います。暑い夏にはちょうどいい名前。
いつも寂しくなくっていい、とリョウは言っていました。彼氏がいないときでも、友達がいればいい。
友達の名前はサキといいます。
友達の彼氏とも別に仲良くやっている。サキの彼氏の名前はシュンといいます。
寝室は別だし(あたりまえだ)、お互いに干渉しないルールが沈黙の間にできあがっている。
何故友達と友達同士であって、友達の彼氏と自分が友達同士になれないってことになるのか?
そんなことはない、と4人は言い切るのでしょう。
リョウ × タカユキ
サキ × シュン
誰かと暮らすことの難しさを知っているつもりの私には、暑さ以外の理由で汗が出そうでした。
Richard won side c no.8
夜の蟲たち/1
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「絶対いつかリョウの彼氏が、サキちゃん好きになっちゃったりしてどろどろになるんだぜ。
あるいはリョウがサキちゃんの彼氏を好きになるかもしれない」
と私は馬鹿にしていました。
「いい大人がさ、永遠に続くわけじゃない寂しさに耐え切れなくてどうするよ」
私は“彼ら”と特に仲良しではありません。あくまでリョウの友達のひとりとして、見かけたらちょっと頭を下げる程度です。
私は何度か見えなかったふりをしたことがあります。
サキちゃんはリョウと違って、黒髪を腰まで伸ばした古風な感じのする女の子です。決して服装が古臭いとかじゃなく、
強いてそんなふうに見せているような。学年は同じ。
「シュンに男性としての興味はないよ。君じゃないんだからさ」
とリョウは簡潔に言いました。
いや、そうかもしれないんだけどさ。シュンはなかなかかっこよかったはずです。
「なんにせよ、家賃も光熱費なんかの基本料金も浮くじゃない。いろいろ便利よ。
大学生なんだからさ、そういう“特殊な生活体系”の時代があってもいいじゃない。」
「別にいいけどさ。」
と私は言いました。超長期合宿的生活。
それは真夏のことで、私たちはひとつ国文学の講義をパスして、近くのカフェ・テラスでくつろいでいました。
テラスに面した道を時々通る同じ大学の生徒のうちの何人かが、彼女に手を振ります。
それに対して私の知り合いはまったく通りませんでした。というか、知り合いや友達の数が、彼女と私とでは圧倒的に違いました。
そういうタイプ。
彼女をうらやましいと思ったことはないけれど、今私がリョウだったらもうちょっとうまいことこの場を納められたのにな、
という瞬間はいくつか経験していました。
「・・・じゃあなんで相談なんかあるんだよ」
私は彼女に『相談があるから』ということで呼び出されたのです。
「サキのことなんだけどね。」
リョウの友達、“サキ”は、最近“変なもの”が見えてしまうらしい。
普段は大丈夫。
だけど、夜中になると、見えるらしいのだ。国道に転がるものが。
人の頭ほどの大きさの“虫”が。
太りすぎた芋虫のようにもこもこしており、小さな足がたくさん生えている。
それが、ごろごろ、ごろごろ・・・といくつも(何匹も)転がっていくのだ。(らしいのだ。)
彼らのアパートメントは国道に面しているのです。今私達のいるテラスに面した道路脇の延長上にある。
外を見なければいいのだけれど、大学生的に遊んだりアルバイトをしていると、夜道路を見ないことは難しい。
「専門外だ」と私は言いました。というか私に専門などありません。多少心理学を齧っているだけです。
「そういうのはまったくもってわからない。先に専門家のカウンセリングだ。」
「違うのよ。相談したいのは・・・もちろんそれもあるんだけど、変な話、そういうことじゃないの。」
サキはそのことを、自分の彼氏“シュン”には秘密にしているという。心配をかけたくないから。
というか、『変なやつだと思われなくない』から。
だから、サキはリョウとリョウの彼氏にお願いをした。その虫を一緒に見てみて欲しい。
本当に私だけにしか見えないのか、本当に私だけがおかしいのか、確認して欲しいと。
シュンには言わないで。お願いだから。
「君の彼氏の名前は・・・ええと・・・タカヒロ。」
「ちがう、タカユキ。あなたはほんと人の名前覚えないよね・・・」
「それで、リョウは見えたの?虫?」
「見えるわけがないよ。だけどね。」
タカユキは、「見える」と言った。
だから、リョウは咄嗟に言ってしまった。わたしにもみえるわ、と。
虫についてはサキから誰よりも事細かに説明されていた。こういうふうに転がっている。こんな色で、こんな鳴き声(泣くのかい)。
足と胴体の間に、なにかぐちゅぐちゅした液体がいつもついている。
転がるとその液体は道にへばりついてしまう。その跡すら彼女には見える・・・らしい。
リョウは、道よりも先に、本当には見えない虫よりも先に、虫を見ているタカユキの顔を見てしまった。
そこには本当に何かがあるようだった。タカユキが息を飲む音が聞えてきた。
「・・・なんだあれ・・・」とタカユキが言い、リョウに訊いたのだ。「リョウ、見えるか?」
リョウは3秒ほど経ってから(でもその3秒はきっととても長く感じていたに違いない)「見えた・・・」と答えた。
答えた瞬間に手が震え出した。
何故自分はこんな嘘をつくのだろう。信じられなかった。
タカユキは、自分がその虫を見たことよりも、リョウの様子に驚いた風だったらしい。
夏だというのに手の震えは止まらなかった。
リョウは両手を自分の首の下や脇の下に入れて震えをとめようとした。でもとまらなかった。
嘘をついていると思われるのがいやだった。だからリョウは嘘に嘘を重ねることにした。
「でもサキが言うようにたくさんは見えないわ・・・4匹よ。ほら、ちょうどガードレールのあるあたりに。」
奇しくも、その手の震えが、まるで嘘に重ねられた嘘を完璧な真実であるかのように飾ってくれたようだった。
「サキちゃんは安心したんじゃないの」
と私は言いました。自分にしか見えないと思っていたものが、他の人にも見えたのだから。
「・・・わからないわ。彼女は全然喋らなかった。私達は殆ど無言のまま家に帰って、その後あまり虫の話をしていない。
私は見えることになったまま。」
「本当にタカユキにも見えたの?」
「・・・訊こうと思ったの。だけど、あの時の彼の視線とか?そういうのを思い出すと・・・訊けないの。」
4匹、というのはなに?と訊くと、彼女はただ思いついたのが4だった、と言いました。
私達はずっと4という数字とやってきたの。何を買うにも4つ。4人分。4回分。4席。4セット。
私には特に「専門」などありません。
何も資格は持っていない。働いてもいない。ただの大学生でした。
だけど、ひとつ強いて「強み」があるとすれば、人の行動の根拠というものを行動から導き出すことについて。
勘と、勘だけじゃない、導き出すための回路が人より多くできあがってる。気がする。
それで逆に見えないはずの他人の下心が見えて苦しんだ時もいっぱいある。
だからリョウは私を選んだのです。
彼女とは入学以来の付き合いです。それなりに私達はお互いを知っている。
サキにみえてタカユキにみえてリョウに見えない。
その理由の、さらにその根拠。
私が「根拠」として選んだのは、ただひとつの事実でした。
予測されるひとつの事実。だけど何故かかなりの確信がありました。
けれど、それを言葉にするにはあまりにも証拠が足りません。
リョウは言いました。
「ねえ、私達はどうしたらいいんだろう?なんで、なんで私だけ見えないの?私は、たまらなく悲しいの。
サキもだけど、タカユキを騙していることが。
・・・彼に見えて、私に見えないことが。」
私は心の中で言い直します。彼らにみえて、わたしにみえないことが、と。
「おちついてよ。悪いけど、見えないのはあんただけじゃないよ。私にもたぶん絶対に見えないね。断言する」
「・・・このまま4人で生活していったら、いつかこの話はなかったことになるんだろうか?」
リョウには悪いと思いながら、私は言いました。
「それは、ないね」
「そうよね。こんな話題だもん、なくならないよね。」
私が否定したのは、そっちではありません。
1週間後。
サキの恋人であるシュンが、家を出て行きました。
私が否定したのは“このまま4人で生活していったら”、その部分です。
そしてそれはたいした時間を置かずに実現してしまった。
果たして彼らは「3人」になったのです。
リョウ × タカユキ
サキ × シュン
リョウ × タカユキ
サキ ×
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