ポルトガルの「海の歌」
昨日の記事で御紹介した美食クラブ のオーナー・シェフがポルトガル人と聞いて、ポルトガルを思い出してしまいました。この美食クラブの名前にもあるエストリル(Estoril)も、何処かで聞いたことがあるなと思っていたら、リスボン郊外の有名な保養地の名前であることを思い出しました。
リカルドおじさんは、ポルトガルにもブラジルも行ったことはありますが、住んだことはなく、ポルトガル語の世界とはほとんど御縁のないまま今にいたっております。そのためポルトガル語世界の知識はほとんどありません。しかし、関心はあります。ただ、どういうわけかスペイン語世界の場合、スペインよりも中南米に惹かれるのに対して、ポルトガル語世界の場合は、ブラジルよりもポルトガルに惹かれるのです。
もうずいぶん以前のことですが、マドリッドに住んでいた頃、ポルトガルのリスボンまで車で行ったことがあります。ぶっ飛ばせば車で10時間程度で着くのですが、老体に鞭打って10時間ぶっ飛ばすのはさすがにしんどいので、途中、確か、スペイン側のエストレマドゥーラ州カセレスの街で一泊し、翌日ポルトガルに入りましたが、EU統合で国境が事実上無くなっているため、いつポルトガルに入ったのか気付きませんでした。
ポルトガルに行く以上、リカルドおじさんにはどうしても行きたい場所がありました。それはロカ岬(Cabo da Roca) です。ポルトガルの大詩人カモンイス(Luis de Camões)が、「ここに陸尽き、海始まる」と詠んだ、ヨーロッパ大陸最西端の岬です。ここから眼前に広がる大西洋を見たかったのです。
ここに陸尽き、海始まる
Onde a terra se acaba e o mar começa.
ユーラシア大陸の西のどん詰まりの、大海に突き落とされそうな場所にへばりつくようにして生きてきたルシタニアの人々(ポルトガル人)、活路を求めて眼前の大洋に乗り出して行った民族の歴史と運命が、この短い一節に見事に凝縮しているように思えてなりません。ロカ岬のような場所から、バスコ・ダ・ガマやヘンリー航海王子のように大海に雄飛したルシタニア人の悲壮な決意が生まれてきたのでしょう。
ロカ岬には、このカモンエスの一節を刻んだ詩碑が建っています。尤も、リカルドおじさんがロカ岬に佇み、大西洋を眼前に眺めた時、後々、その大西洋の向こう側の最貧国ニカラグアに流れ着くことになるなどとは夢にも思わなかったですけれど。
さて、ポルトガルの音楽と言えば、これはもうファド(fado)です。ファドはポルトガルの民族歌謡、言うなればポルトガルの演歌です。明るく軽いファドもあるようですが、やはり一般的にファドといえば何となく重く暗く、そして哀調に満ちた曲調です。ポルトガル人の民族性なのでしょう。
そして、ファドと言えば、ファドの女王といわれたアマリア・ロドリゲスですが、彼女亡き後、リカルドおじさんに言わせれば、現在のポルトガルのファドの歌い手はこの人が最高峰でしょう。ドゥルス・ポンテス(Dulce Pontes)(公式ウェッブ・サイトはこちら )。1969年、セトゥバル県モンティージョ生まれの41歳。ポンテスはファドのみならず、普通のポップスも唄いますが、現在のところポルトガル人として最も国際的に知られている歌手でしょう。
ポンテスの歌うファド「海の歌」(Canção do Mar)は感動ものです。この曲のオリジナルはブラジルの曲という説もあるようですが(はっきりしない)、1950年代からあり、アマリア・ロドリゲスも唄いました。しかし、ドゥルス・ポンテスも上手です。海とは切っても切れないポルトガル人、そしてこの曲のメロディは何とも心に残ります。
では、ドゥルス・ポンテスの「海の歌 」(カンサォン・ド・マル)をどうぞ。
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