ラテンなおやじのぐうたらニカラグア生活

 英語圏カリブ諸国も含めて、ほぼ全ての中南米諸国を漂流したリカルドおじさんが、とうとう流れ着いたのがハイチについで2番目に貧しい国、中米ニカラグア。最初はうつ病の心配をしたけれど、今はここの生活にも慣れ、連日の停電・断水、酷暑もなんのその、明るく楽しく、そして、ぐうたらにやってます。

 日々日常の出来事を語るほか、暇つぶしのためこのBLOG上で、「中南米:音楽の旅」にも出たいと思います。因みに、ニックネームの「リカルド」は、ラテン・ポップスの男性歌手としては最高!(と、独断と偏見で)思っているベネズエラのリカルド・モンタネールから拝借したもの。

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皆さん、お元気で、これにてブログを閉じます

 いよいよこのブログを終える時がやってきました。

 このブログを開設したのは2007年10月22日(ニカラグア時間なら21日)のことでした。意図したわけではありませんが、閉鎖の日が開設から奇しくもちょうど満3年になります。


 この間、ニカラグア各地のこと、中南米文化のこと、美人写真、ラテン音楽のこと、思いつくままに好き勝手を書いて参りました。こんな文章にお付き合い下さり、読者になって頂いた方、コメントを書きこんで下さった方、ペタを貼って下さった方、全ての方々に深く御礼申し上げます。特に、コメントを入れて下さった方々のお陰で、それが記事を書き続ける上での大きな励みになりました。

 更に、リカルドおじさんを支え、励まして下さった方々にも感謝致します。皆さんに支えられてニカラグアでの生活が楽しく、かつ平穏無事であったからこそ、このブログを書き続けることができたわけですから。

 「せっかくだからこのまま続けよ」という声も戴いていますが、日本に帰国しますと「ラテンなおやじのぐうたらニカラグア生活」というタイトルにはそぐわなくなりますので、これで終止符を打つのが妥当だろうと思います。


 バルセロナからこの国に流れて来ることを決め、知り合いに「今度、ニカラグアに行くことになりました」と挨拶をすると、冗談混じりながら、しかし半分は気の毒そうに、スペイン人からは「ロ・シエント・ムーチョ」(それはお気の毒に)と言われたし、日本人からは「誠にご愁傷様でございます」と言われたことも、まるで昨日のことのようです。

 それから4年8ヶ月、常に楽しいことばかりではありませんでした。腹の立つこと、「何だよ!この国は」と憤慨することもありました。しかし、ニカラグアで支えて下さる多くの方々を得たことで、また、ニカラグア各地を巡るようになったことで、そして、特に、このブログを始めたことで、厳しい生活環境でありながら心が平静に保てたのも事実です。また、こんな貧しい国ですが、隅々まで国内を見て歩くと決してバカにしたものではないということが分かりますし、このニカラグアという国の深さや、その国民は敬意に値する人々であることも分かって参ります。5年近くも住んでみて、この国に住むことは、決して「お気の毒」でも「ご愁傷」でもないことは断言できます。


 ニカラグア生活に終止符を打つことで、長かったラテン世界漂流の旅も終えることになりますが、その最後の国がニカラグアで良かったと思います。後年、もう一度行ってみたい国があるかと自問することもあると思いますが、ニカラグアは確実にその中に入るでしょう。4年8ヶ月も住んだのですから今は後ろ髪を強く引かれる想いです。


 長い間、ありがとうございました。改めて皆さまに御礼申し上げます。間もなく、リカルドおじさんはマナグアから機上の人となって祖国日本に戻り、以後、毎日、京王井の頭線と渋谷の雑踏の中を歩きながら、ラテン世界を懐かしむおっさんになっていることでしょう。

 皆さまもお元気で。ニカラグアには平穏と繁栄を!


 アディオス、ニカラグア


ラテンなおやじのぐうたらニカラグア生活-ニカラグアを象徴する風景
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自宅を引き払いました

 10月20日(水)、リカルドおじさんは長らく住んだ今の家を引き払い、安ホテルに移りました。

 早めに準備を始め、女中さんにガラクタを全部持って行ってもらったおかげで、旅行の際の荷物はスーツケース2個にリュックひとつです。ニカラグアにやって来た時よりかなりの軽装備で帰国できます。本当なら手ぶらで帰国したいところですが、乗り継ぎのためどうしてもヒューストンで一泊することになりますので、完全に手ぶらというわけにもいきません。


 ところで、この家ですが、かなり老朽化した民家で、知り合いのニカラグア人からは「どうしてあんなフェアな(汚なくてボロい)家に住んでいるのか」とよく言われました。家族が一緒ならもうちょっと考えたかも知れませんが、リカルドおじさん独りなら、家など雨風が凌げればそれでいいのです。狙い通り、この家は雨季の激しい雨の時でも一滴の雨漏りもしなかった。新築の家に入居して、雨が降ると屋内にバケツを置かねばならない家などニカラグアにはいくらでもあります。


ラテンなおやじのぐうたらニカラグア生活-自宅

 ただ、この家に入ったのはそのためではありません。お湯がいつも出るという、その一点だけが理由でした。

 初めてニカラグアに来た当初、リカルドおじさんは1ヶ月以上安ホテルに滞在していましたが、お湯が出なかったのです。正確に言うと、シャワーの水の出口に電気による温水化装置がついているのですが、事実上役に立たないのです。ほとんど水のままで、頻繁な停電でそれさえも役に立ちません。電気があればあったで、ビリビリと感電する始末です。暑い国ですから、ニカラグア人は一般にお湯を使う習慣がないことを知ったのは、その後のことでした。

 毎日、安ホテルで水シャワーというのは、いかに暑い国でも朝晩は辛い。精神まで滅入ってくるような気がしたし、とにかく侘しくなるのです。単身赴任はただでさえ侘しいのに、水シャワーで更に侘しくなるのは勘弁して欲しいと思いました。そこで、家を探す時の条件は、古い家だろうが何だろうが、頻繁な停電に関わりなく、電気以外の方法でお湯を供給できる装置のついた家、それだけでした。この家は、大家さんの唯一の自慢が太陽熱による給湯装置がついていることで、それが決め手になりました。おかげでニカラグアの強烈な太陽に暖められた火傷しそうなお湯がいつも出ました。尤も、断水するとどうにもならなかったけれど。


 この家にはいっぱい思い出が詰まっています。庭に泥棒が2日連続で入って来た こと、夜間、天井裏を怪しげな足音で四足動物が這いまわっていたこと(恐らく、イググアナでしょう)、あるいは青年海外協力隊の方々と刺身大会 をやったり。


 そういう思い出を全て後に置いて、本日、この家を後にしました。

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女中さん解雇の後日譚

 一昨日、女中さんを解雇 したのですが、その時、彼女に頼まれたことがありました。次の職探しのため推薦状を書いて欲しいというのです。次の就職の機会に必ず提示を求められるのだとか。


 そう言えば、リカルドおじさんがこの女中さんを雇う時、別にこちらから求めもしないのに、リカルドおじさんにとっては誰かも知らない人の推薦状を見せてくれた記憶があります。これが雇い主がニカラグア人である場合は、恐らく、必ず見せろと要求されるのでしょう。

 4年半も勤めてこの間の自分の働きを証明するものがないのは気の毒です。リカルドおじさんの推薦状など何の役にも立たないけれど、何処で何をしていたのかが分かるだけでも役に立つのであれば書いてあげることにしました。

 しかし、立ち去る時に急に書いてくれと言われても出来ないので、書いておくからそれを受け取りに一度戻って来いと言って別れました。


 そして、本日10月19日、女中さんが一旦戻って来ました。

 以前の記事に書いたことがあるかも知れませんが、この女中さん、自分の名前をたどたどしく書けるだけで、実は、読み書きができないのです。リカルドおじさんは、その事に気付いていましたから、推薦状に何と書いてあるのか読めないであろうと思い、彼女の前で声を出して読んでやりました。


 それを聞いて、内容は納得したと思います。しかし、悲しいね。ニカラグアにはまだまだこんな人たちがたくさんいるのです。うまく、次の職が見つかれば良いが。

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