轟悠を主演に、宙組が極めて高い集中力と密度の濃い演技で作り上げた、気高き舞台。
舞台は王妃の部屋のみ、そのたった3日間が凝縮されました。
戯曲の宝塚化というより、宝塚の枠組みに捕らわれ過ぎず、まず舞台であること、演劇的な世界を徹底的に追求しているように感じました。
原作が半世紀以上前に書かれたようには思えません。
古典的なロマンもありましたが、そこに「古さ」はなく、むしろ最先端の洗練された世界観がありました。
まず、パパラッチ達が全員素晴らしかったと思います。
あえて・・・いや、やはりパパラッチがこの舞台の土台になったと考えます。
年次は関係なく皆が緊張感を持って舞台に存在しており、壁越し(窓越し)に物語(コトの成り行き)を見ている時もその緊張が解けることはありませんでした。
舞台中央にいる時だけでなく上手、下手、舞台奥、いずれも立ち位置(座り位置)に入る姿、見つめている時の仕草にも皆キャラクターがあって、1人のパパラッチにしばらく目を奪われる場面すらありました。
演じた宙組の組子達は黒い衣装だからスタイルが良く見えたのではないと思います。
黒い衣装をきちんと着こなし、所作でも魅せたことでスタイルの良さがさらに引き立ったのだと思います。
そして黒で引き締まった空気、世界は1幕ラスト、赤の挿し色で劇的に、ロマンチックに変化していきます。
赤の手袋、ネクタイ、帽子、非常に効果的だったと思います。
(2014年月組公演「TAKARAZUKA 花詩集100!!」の公演レポートでも書きましたが、黒と暖色系を組み合わせると双方が引き立つなと。特に舞台など大きな空間で使うとより鮮明に映ります)
穂希せり、恥ずかしながら初めて芸名と顔が一致しましたが彼女が演じたトニーに惹き込まれました。
目で、仕草で、表面だけはなく内面、心の動きでこれだけ伝わるものがあるのか。
話せなくても心が語り、訴えかけるその姿は、声の音量だけで勝負する台詞よりもはるかに説得力がありました。
トニーだけではないのですが、3日間を描いた芝居なのに、登場人物達が今までどんな人生を歩んできたのか、そのイメージが湧くような深い役作りをしているんですよね。
トニーも王妃から絶対の信頼を得るだけの仕え方をしてきたんだろうなとその空気から分かりました。
和希そらのしなやかなストーリーテリング。
彼女の柔らかな舞台回しなくして、客席は濃密な舞台にストレスなく誘われることはなかったと言っても過言ではないです。
気負い過ぎず、肩の力が抜けているので客席の空気で呼吸するような繊細さがありました。
アドリブは過度にならず、しかし淡白に陥ることもなくオシャレで、楽しく、毎回ドキッとさせるエスプリが効いていました。
物語が展開する舞台と客席の間をつなぐ、文字通り「立ち位置」が見事。
客席は敏感なもので、器用過ぎるとかえって作為を感じることがありますが、彼女にはそれが全くなかったです。
あれだけ自然な流れを作ってくれると、観る側も「好きにして!」と心から委ねられます。
フェリックス公爵を演じた桜木みなとは、純粋な想いが入り組む有り様を狂おしいほど豊かな歌唱力で表現しました。
王妃への愛と敬意。
フェリックスは湧き出てくる気持ちはそれぞれピュアでも、その様々な想いが強過ぎるあまり絡まっていき、自分でも説明できない状態になっていたのでしょう。
そんな心境を超がつくであろう難易度の高いソロで聴かせてくれるのですが、技術的な部分を乗り越えた上で心を全開にして歌い上げることができるのは本当に凄い実力だなと。
もっともっと評価され、チャンスも(成長するための)試練も与えられるに相応しい正統なスターだと思います。
愛月ひかるのフェーン伯爵、話すは建て前、語らぬ本心、いずれも憎らしく思えるほど的確でした。
行間に潜む企み、ひしひしと感じました。
本物の策士は企んでいることも自分が策士であることも知られないものですが、フェーン伯爵は自分が策士であること=裏で操っている自分に程よく酔っていて、少し垣間見せています。
きっと「バレても関係ない。それでも俺は(さらに策を練るから)負けない」くらいの自信と実力があるのでしょう。
この作品、物語においてはそのくらいの方が面白くて、愛月ひかるは理解して演じているように感じました。
(完璧に策士すぎて全く無機質、無表情では劇中での存在価値がなくなってしまいます)
革のロングコート&ロングブーツ、そしてオールバック、抜群に似合っていました。
スタイルの成せる技ではありますが、2幕冒頭のソロでのコートの翻し方も男役らしい骨太な造形で惚れ惚れするばかり。
黒でこれだけ大きく見えるのですから、男役としての存在感、オーラもルキーニの時からさらに一段と増しているのでしょう。
実咲凜音には一体どれだけの可能性があり、彼女はどこまで突き進むのでしょうか。
エリザベート役を観た時、正直辿り着くところまで来たのかなと思っていました(それも凄い領域だったのですが)。
しかし彼女はこの短期間で、挑戦の果てに新たな地平に突き抜けたのです。
今までに観たことない、想定外の実咲凜音。
秀才的な天才が、徹底的に役を作り、磨き上げ、その中で魂をさらけ出す・・・というよりえぐり出すように演じていました。
まだ破れる殻があったのかと、その凄みに感動するのです。
(物語の)1日目、最初に王妃が登場する場面、横姿でもその圧倒的なオーラに自然と拍手してしまいました。
改めて感じたのですが、特にドレスを着ている時の姿勢が凛としていて美しいです。
ずっと苦労して積み上げてきた結果、神々しい娘役の型ができたのでしょう。
轟悠に恐れることなく、むしろ役の通りリードするような力のある芝居でした。
轟悠の深い包容力が前提にあるものの、彼女にここまでのエネルギーで向き合い、ぶつかることのできる娘役はなかなかいないと思います。
歌もこれでもかと天にも届きそうなレベル。
透き通った天使のような歌声だけでなく、心情を映した澱んだ声質、たくましい声質など変幻自在。
音響の良い神奈川芸術劇場(KAAT)で、実咲凜音が宙組娘役トップスターとしてその歌声を響かせ、刻んでくれたことは本当に嬉しいです。
この劇場は、聴きたい歌い手を想起させます。
来年からは日本青年館公演に戻るため、宝塚歌劇が次に神奈川芸術劇場で上演する機会は今のところ未定です。
音が響き、響かせるという意味では劇場も楽器だと思います。
KAATに響いた極上の歌声。
私の中では望海風斗、仙名彩世、実咲凜音、この3人です。
素晴らしい劇場に出会えたと思いますし、またいつの日か、期待しています。
轟悠が主演を務める意味、価値をはっきりと感じたスタニスラス。
貫禄、威厳、荒々しさ、若々しさ、脆さ、愛嬌・・・男役のあらゆる面を最高のクオリティで示すその姿に、客席だけでなく共演者も並々ならぬ緊張感、畏怖を感じたことでしょう。
宙組のこのカンパニーが轟悠から受ける刺激、緊張感は明らかに舞台に活きました。
そして間違いなく今後の糧になると思います。
特出する組のトップスターだと成長しない、などということは一切ありません。
そういうことではなく、轟悠が特出することで違う風、別の角度から組子が引き締まり、成長するのだと思います。
雲の上にいるような、恐れ多いほどのスターと共演する経験。
それでも稽古に入れば、舞台に立てば、恐れたり恐縮することは許されません。
役者同士、対等の勝負。
乗り越える以外ないのです。
そういう厳しい環境で自ら引き出した力は確かなものになるはずです。
このカンパニーを観て思うのは、轟悠に萎縮したり、逆に厳しく言われてがんじがらめになっていないことです。
助言はもらっても、結局最後は自分で、チームで考え、戦うしか道は切り開けない。
それを理解し、自主的に作品世界へ、役へ自分達を追い込んだ結果、端正にまとまったカンパニーができているように感じました。
轟悠は役者として、男役として、まだまだ凄まじいエネルギー、オーラが出るなと感心、感動しました。
決して大きいとは言えない体を自然に大きく見せる男役芸の基本。
背中で語るということ。
相手役(娘役)への愛情表現の豊かさ。
人に厳しく、自分にはもっと厳しいという姿勢。
これからも心技体のバランスが取れる限り、後進に(授業などではなく)舞台を通して男役道を示し、愛あるゲキを飛ばしてもらいたいです。
ただ数年前から喉が少しだけ気になっており、心配です。
大事にしていただきたいです。
宝塚版「双頭の鷲」はスタニスラス@轟悠と王妃@実咲凜音の激しくも儚い、究極の愛の物語だと思います。
スタニスラスと王妃がデュエットで手を羽ばたかせると、本当に一羽の大きな鷲の翼のように見えました。
ラストシーン、2人が階段で手を繋いで最期を迎えた時の形は(かなり細かい部分まで決まっているのでしょう)何とも言えない美しさがあり、2つの体が命も魂も一体になった瞬間を象徴しているように感じました。
突き詰めた作品を経て、宙組双頭の鷲カンパニーは全ツ組と一体となり、コメディと1年振りの大劇場ショー作品へ。
止まることを知らない宙組と、今なお究極の娘役道を歩み続ける実咲凜音が春の日本を鮮やかに駆け抜けてくれることを期待しています。
「ヅカデミー賞2016」、投票はいよいよ明日25日(日)まで。
どの作品、どのスターに投票されたかはもちろん、私は投票コメントを読ませていただく時間を大切にしています。
投票してくださった皆さん、心のこもった投票、コメント、ありがとうございます。
これから投票を予定されている皆さん、好み、主観大歓迎です。
この投票に偏った意見などありません。
全ての主観を、私は尊重させていただきます。