目の前に、確かにいる、超現実。

 

明日海りおのエドガーは、漫画の実写としての完成度の議論を超えているように思います。

 

「似ている」「似ていない」という議論はそもそも別々の2人に対してするものであって、私には明日海りお=エドガー、エドガー=明日海りおに感じる(そう、見えるのではなく感じる!)ので、「似る」という感覚とは別次元です。

 

恥ずかしながら原作はこれから読むのですが、それでもプログラムの原画が明日海りおに見えました(繰り返しますが、似ているのとは違うレベルです)。

 

 

メリーベルと共に生きた人間としての少年時代。

 

彼女のために生きたバンパネラ時代。

 

メリーベルを失ってアランと永遠の旅にさすらう時代。

 

永遠の少年性を保ちながらも各時代で心の躍動、葛藤を哀しく、激しく表現する様はやはり内面から美しいです。

 

明日海りおのエドガーは外身と内面が一体であり、心の動きが実に自然。

 

突発的な感情の変化、言動も「エドガーならそうだろうな」という説得力があります。

 

エドガーが他のクラスメイトとは異なり、アランに対して媚びることも気負うこともなく真っ直ぐに対峙できるのはバンパネラとしての達観からではないでしょうか。

 

現世の些末なことを恐れる必要がないのです。

 

だからアランもエドガーに惹かれるのだと思います。

 

明日海エドガーが放つ時に優しく、時に厳しく、時に無機質なオーラ、その全てが魅惑的で何度となく吸い込まれそうな感覚に陥りました。

 

「君もおいでよ」

 

そう言われた後、次に意識が戻るのはバンパネラになってからかも知れません。

 

 

 

 

 

これが娘役トップスターの仕事。

 

これぞ花組娘役の仕事。

 

 

宝塚的なヒロインとは趣も役割も異なりますが、シーラこそ娘役トップが演じる役であることを仙名彩世は証明しました。

 

 

シーラはフランクがバンパネラであることを気にしておらず、「未知」は愛によって何事もなかったように受け入れられます。

 

 

未知を愛そう。

 

 

「愛そう」という気負いすらなく、シーラは純粋に、ひたむきにフランクを愛しました。

 

彼女は「未知を愛した」のではなく、「愛によって未知をも愛した」女性と言えます。

 

この純粋さにエドガーは惚れるのですが、皮肉にも純粋な愛の結果起こること=シーラが一族になることに葛藤します。

 

 

一族に加わったシーラのエドガーへの想い(恋愛ではなく、仲間としての絆)を仙名彩世は巧みに演じました。

 

押し過ぎず、引き過ぎず、温かく見守るシーラの眼差し。

 

 

また、一族のためにクリフォード@鳳月杏を誘おうと策を浮かべている時の笑みまで純粋で汚れがありませんでした。

 

にも関わらずシーラはその愛と純粋さがきっかけで消滅してしまうところが儚く、非常に切ないです。

 

 

バンパネラになってからは目を中心に顔の生気を失い、その後人間と接する時は生き生きとした表情を取り繕う演技は素晴らしいとしか言いようがありません。

(プログラムのポート写真は目の生気がないままのバンパネラ仕様だと思います)

 

 

研究の跡を感じる数々の髪型、アクセサリーの数々。

無形文化財にしたいです。

 

ずば抜けて美しい姿勢(この作品に限らず)。

特に肩と背中の美しさがドレスの力を最大限に引き出します。

 

娘役が好きで、極めたくて、どんな役でも果敢に挑戦する姿勢。

 

地に足はついていながら、現状維持や守りの意識なく、常に漂う戦う気迫と気概。

 

 

何度も書いていますが娘役トップスターに学年は関係ないのです。

 

仙名彩世の仕事、彼女の舞台を観れば毎回納得を超えた感動が押し寄せます。

 

宝塚版「ポーの一族」において仙名彩世が演じたシーラは絶対にサブや脇役ではありません。

 

「永遠の愛」を象徴する存在として、新しいヒロイン像を作ったと思います。

 

 

 

 

花組東京宝塚劇場公演「ポーの一族」公演レポート【テーマ編】