アムダリアには誇りがなかったのか。

 

ジャハンギールは誇りを失ったのか。

 

 

いずれも、私の答えは「いいえ」です。

 

 

アムダリアは敵国の将に国を盗られ、その妃になるくらいなら自害する誇り、覚悟もありました。

 

その誇りよりも子供達を取ったのです。

女王アムダリアの誇りよりも、母としての誇り、愛が勝ったのだと思います。

 

ギィは悔しくてしかたなかったのかもしれませんが、母アムダリアとしては

 

「奴隷だとしても、どんな形でも生きて欲しかった」

 

その想い、彼女なりの愛に尽きます。

 

それでも彼女は自分の選択が絶対的に正しかったとは思っていないはず。

 

ただ、子供達の命が奪われそうな極限の場面で選んだ人生を、筆舌しがたい想いで生き抜いたのです。

 

だからジャハンギールの妃になってからは感情の起伏のない、表情にも出ない人になったのでしょう。

 

その中で台詞のちょっとしたニュアンスや目の奥、場のい方や佇まいで少なからず何かを確かに語る仙名彩世の表現力にはただただ感服するばかりでした。

 

ギィに本当の生い立ちと自分との関係を話す場面で自然に溢れ出る涙。

ギィがジャハンギールを討った後の、声も出ずただ震える姿。

 

形を作るのではなく、役に入り込み、心が動き出すから説得力のある芝居になるのだと思います。

 

 

 

アムダリアはジャハンギールを恨んでいました。

 

そして、最終的に愛するに至ったと思います。

(前述の通り、恨みや憎しみの感情が愛に変わったのかについては言及しません)

 

 

ジャハンギールの真っ直ぐな勇ましさ、堂々とした立ち居振る舞い、誇り高き治世と戦いは鳳月杏がしっかりと演じ切ってくれました。

 

野性味がありながらも上品さを失わず、まとわりつく衣装なのに颯爽とした殺陣で魅了してくれたのも彼女ならではのセンスと技術だと思います。

 

この一本太く通った役作りが、「ただ一つの醜い取引」を際立たせます。

 

完璧な人物や国がたった一つのことで綻んでいく、そのプロセスと結末。

そこにも神話らしさを感じます。

 

それまで一切ブレることのなかった砂漠の武人が、汚い取引だと分かってもどうしても愛することを選んだ、それはアムダリアにとっての運命でもあったのです。

 

恋多き男ならいざ知らず、ジャハンギールのような男が殺すのを怯み、取引を持ちかけてくる。

しかも取引というより、請願に近いやりとり。

 

 

そんな彼の愛を感じ、受け止め、それに心の底が動かされたしまった自分への罪の意識が、人前に出ない、あまり話さない、感情をあらわにしないアムダリア女王を生んだのでしょう。

 

 

ジャハンギールは誇りを捨てたり、失ったりはしていないと思います。

 

だから最期も堂々と戦い、その生を終えたのです。

たった一つの醜い取引のみ悔いて、力強く散りました。

 

鳳月杏がスカステの番組で「王妃!」と叫ぶ場面の(ジャハンギールの)心情について、

 

「どういう気持ちとか、言葉であれこれ説明できるものではない」

 

という趣旨のことを言っていたのに共感しました。

 

・全ての言動に必ず細かくはっきりとした心情が存在するわけではない

・ジャハンギールは死に際につべこべ言うような人物ではない

 

共感の理由は主にこの2点です。

 

 

 

 

一方、柚香光演じるテオドロスは誇りよりも「利」「合理」を優先させる大国の王子。

 

他の情緒的な登場人物達の中にいると自然と冷酷で嫌味な人物にまで行き過ぎたり、そう演じたくなりそうなところですが、「合理的な賢者」という骨組みを崩すことなくきちんと演じていました。

 

彼は悪役でも敵役でもなく、むしろ真っ当な判断を下しているとも言えます。

 

テオドロスのような人物が主役の作品も宝塚的には十分ありだと思います。

 

 

象徴的だったのはイスファンディヤールがジャハンギールを討った後、テオドロスに自分と戦うか、王位を受け渡すか問うた時のテオドロスのリアクションです。

 

「ル・サンク」には「・・・ふん」とありますが、柚香光の言い方は「ん」はほどんと発しない「ふっ」(「ふ」は「ふ」と「へ」の間くらいのはっきりさせない音)でした。

 

ここも心情について多く語る場面ではなく、私なりに一言で意訳すれば

 

「くだらん」

 

になります。

それ以上でも、それ以下でもないと思うのです。

 

この文字にできない、音にもならないような言い方。

柚香光はテオドロスの気持ちをあっさりと、しかし最も的確に表現していました。

 

それにしても柚香光@テオドロスの神々しさが眩しくてなりません。

スポットが当たっているのか、彼女がスポットなのか。

 

衣装やスポットの力とは全く別の、本人から放たれる強烈なものを感じました。

 

 

 

 

 

プリーの若々しさ、素直で純粋な性格を経験と貫禄を兼ね備える瀬戸かずやが新鮮に演じたことも本作の大きな収穫になりました。

 

プリーは祖国への恨みや憎しみよりも、権力そのものに対する反抗、奴隷という身分への抵抗をストレートに表現していたと思います。

 

単なる荒くれ者の類ではなく、基本的には人懐っこくて愛嬌溢れる人物。

 

王族なら全員憎む、という発想はなく、たとえばビルマーヤとその子供へは愛と優しさを注ぎました。

 

また、シャラデハを愛していたと思います。

 

愛していなければ、存在して欲しくなければ、イスファンを攻めた時に命を奪うチャンスは確かにありました。

 

でも彼はシャラデハも、ソナイルも討たなかった。

 

プリーとシャラデハはあの緊迫する戦闘シーンで、なんと足の踏んづけ合いをしているのです。

(しかもシャラデハが勝つという・・・)

 

コミカルに描かれ、愛らしく演じる2人ですが、愛は確かにあったと思います。

 

 

 

 

 

 

プロローグですでに物語が始まっているのも流石上田先生という演出。

 

しかも、哀愁漂う静かな滑り出しから一転、花組らしいドラマチックでダイナミックな総踊りに展開していく様は圧巻でした。

 

また新たな歴史を塗り替えてくれることへの期待も込めて、このオープニングは上田先生演出作品の中で現時点で最高だと思います。

 

 

ちなみにテンションの高さだけでなく、きちんと含蓄ある配役もなされていました。

 

「序」で砂漠に行き倒れている二人の骸、鳳月杏と仙名彩世が「演じて」います。

役名は「骸」、ジャハンギールでもアムダリアでもなく、骸。

 

ただの骸なら、果たして鳳月杏と仙名彩世が演じる意味は?

想像力をかきたてます。

 

 

 

フィナーレは何と言っても男役のターバン×黒燕尾。

 

花組らしいビシッと決まる群舞(レベル上げてきたと思います)、髪をかきあげる必要はないのに手で頭部を愛でる仕草、いずれも心拍数が上がるばかり。

 

とどめは真打、明日海りおの銀橋センターでのターバンが映える見栄の切り方。

ずばり一本勝ちです。

 

 

 

最後にどうしても触れておきたいのは主題歌。

 

観劇後に頭に残る主題歌は多く、公演中はリピートしがちですが、主題歌「金色の砂漠」は未だに心のどこかに残っていてリフレインします。

 

これほどまでに作品の世界観を忠実に描いた主題歌は久しぶりではないかと思います。

 

しかも明日海りお、音くり寿(カゲソロ)、朝月希和(カゲソロ)の歌い方が非常に上手い。

 

この歌は、作品の世界に溺れ過ぎて自己陶酔すると嘘っぽくて華美な印象を与えるリスクがあります。

 

歌詞と旋律を丁寧に、いい意味で淡々と歌い上げた方が曲の魅力が滲み出てくるので、3人の歌い方は見事だったと思います。

 

 

 

 

 

花組公演「金色の砂漠」公演レポート その1

 

花組公演「金色の砂漠」公演レポート その2

 

 

 

 

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