幻の浅草十二階 74
帝都にそびえる凌雲閣も、
関東大震災により
灰燼に帰した。
この話が私の夢か私の一時的狂気の幻でなかったら、
あの押絵と旅をしていた男こそ狂人であったに違いない。
この文から始まる江戸川乱歩の「押絵と旅する男」。
「あなたは、十二階へお登りなすったことがおありですか。
ああ、おありなさらない。
それは残念ですね。
あれは一体、どこの魔法使いが建てましたものか、
実に途方もない変てこれんな代物でございましたよ。
明治二十三年11月、その塔は開業した。
日本初の電動式エレーベータを備えたその塔は、
その高さゆえに当時の人々の間で話題になり、
また、数多くの文学作品に登場した。
開業当時の凌雲閣 明治23年
ひょうたん池からの眺め
明治6年、浅草寺の境内を浅草公園とした、
そのとき浅草田圃の一部を掘って池を造り、
出た土で周辺を埋め立て六区歓楽街を造った。
そのときできた池が大池だが、
池の形からひょうたん池の名で親しまれていた。
現在の日本中央競馬会の場外馬券売場
浅草ウインズ付近にあたる。
灰燼に帰した凌雲閣
大正12年9月1日11時58分32秒、
神奈川県相模湾北西沖80kmを震源として発生した
マグニチュード7.9の関東大震災により
凌雲閣は倒壊した。
凌雲閣は、ウィリアム・K・バルトン、イギリス人
(江戸川乱歩の「押絵と旅する男」ではイタリーの技師となっている)
により設計されたが、エレベータの設置は考慮されていなかった。
そのことにより構造強度不足で地震により倒壊したと言われている。
浅草十二階は現在のつくばエクスプレス
浅草駅付近にあった。