ここはディラムパーク。英国人ウィリアム・ブラスウェイト(1649-1717)が所有していた邸宅。この人はジェームズ2世、そしてイ14世の仇敵ウィリアム3世に仕えていたらしい。
オランダ総督のウィレムと妻のジェームズ2世の娘メアリ。1650年に在位している。1672年にはネーデルランドの総督となる。
なんてったってオラニエ=ナッサウ家のご出身のウィレム。彼に仕えることによってウィリアム・ブラスウェイトの邸宅にオランダの絵画や装飾品が増えたのだろうか。
このディラムパークの室内にある正面がサミュエル・ファン・ホーホストラーテン(1627-1678)の「「廊下の展望」?は、あとでこの人の作品だとわかった。フェルメール(1632-1675)の「恋文」(ラブレター)に比較される作品だからだ。
1662年のこの作品は、ウィリアム・ブラスウェイトが購入したものとなるだろう。
サミュエル・ファン・ホーホストラーデン(1627-1678)は15歳の頃レンブラントに師事し、その後 宮廷画家に召抱えられる。この人は透視法 にも優れ、著作もある。
彼もフェルメール同様にカメラ・オブスキュラを使い、その原理を利用して、ピープ・ショー・ボックス(パースペクティブ・ボックス)
を作成する。
鏡とレンズによって、部屋の奥が見渡せるようになっている。子供の頃にこんな面白い箱を与えられていたらよかったなぁ。
このボックスには3枚の絵が描かれている。1650年代に描かれたそうだ。芸術の寓意、愛の寓意、エロスとヴィーナスが描かれているらしい。
ボール紙に描かれているのだが、結構いい感じ。レンブラントの天使 っぽい。このサミュエル・ファン・ホーホストラーテンの「ピープ・ショー・ボックス」(遠近箱)にはなかなか凝った作品がある。
これは、彼の作品でルーヴル美術館所蔵の「室内の情景」、もしくは「部屋履き」(スリッパ)に似ている。1654年から1662年の間に作製されたらしいから、「ピープ・ショー・ボックス」の作品に自作を織り込んだのかもしれない。五反田のレプリカにも同じ作品で鑑賞できたのかな。
このピープ・ショー・ボックスを鑑賞した人はきっとこの作品を思い浮かべたに違いない。
ルーヴル美術館の解説によると、「奥に掛かったテルボルフに由来する絵画のように、色恋沙汰に興じてこの家を留守にしている女性のむなしい暇つぶしが暗示されており、巧みな道徳的教訓と、観る者を惹きつける遠近法の効果、詩的な絵の静謐がそこにはある。(略)作品中のもう一つの絵画、カスパル・ネッチェルの《父の叱責》(1655年、ゴータ市美術館蔵)は、ヘラルト・テルボルフの作品の異作であり、金銭ずくの愛を批判している。ドゥミ・モンド(色恋に熱中する女性たちの世界)の儚(はかな)さは、時間を浪費するだけの反道徳的行為の象徴である、消えたロウソクによって体現されている」とあった。
ヘラルト・テル・ボルフ 「父の叱責」(父の忠告) アムステルダム国立美術館
タイトルは「訪問」なんだけど、ヘラルト・テル・ボルフ同様に「父の叱責」で知られてるのかな。(いや、追加画像にありました、)色こそ違うけど、黒いラインの服と髪型が、フェルメールの「窓辺で手紙を読む女 」に似ている。
さてフェルメールの作品とサミュエル・ファン・ホーホストラーテンを見比べてみると・・・。
フェルメール「恋文」 The Love Letter(De liefdesbrief) c. 1667-1670 Rijksmuseum, Amsterdam
「室内の情景」、もしくは「部屋履き」(スリッパ) ルーヴル美術館解説引用
フェルメールやデ・ホーホといった有名画家の影が、様々かつ意外な展開を招いたこの作品の歴史に痕跡を留めている。制作者の特定に関しては、様々な説が代わる代わる登場し、遂には18世紀または19世初頭の摸作だとする説までが飛び出した。19世紀には、幾人かの収集家は作品に新しいモチーフを描き込ませるまでに至り、小犬、ピーテル・デ・ホーホの落款と1658年という制作年、さらには座った少女が加えられた。この絵があまりにもがらんとしているため、この「背景」を何かで埋め、フェルメールやデ・ホーホの作品に近づけたかったのであろう。幸いなことに、これらの加筆は容易に取り除くことができ、本来のホーホストラーテン固有の純潔さが作品に取り戻されたのである。
さてさらっとフェルメールのこの作品を小林頼子さんの解説から引用・要約すると、メツーの「手紙を読む女」から人物を、そしてピーテル・.デ・ホーホ「男と女とオウム 1668 」(ヴァルラルフ=リヒャルツ美術館蔵)から立てかけれたた箒、椅子、ドア上のカーテンを取り入れとあるが、やっぱりサミュエル・ファン・ホーホストラーテンの作品のほうが近い気がする。
フェルメールに関しては 「XAI フェルメールはお好き? 」から
サミュエル・ファン・ホーホストラーテンの「廊下の眺め」や「ピープ・ショー・ボックスの作品」の画中画に人もいるでしょう。ちなみにフェルメールの画中画は、アドリアン(アンドリュー)・ファン・デ・ヴェルデの「風景の中の家族 」のような恋愛の寓意の作品として使用しているらしい。この「恋文」とおなじアムステルダム国立美術館にある。
以前、僕はハブリエル・メツーの記事を書いた。記事中にメツーの「手紙を読む女 」を取り上げてみた。手紙を受け取る女主人と召使という構図はこの時代の流行だったという。
フェルメールの「女と召使 」で、はじめてこの「恋文」の召使と女主人が登場した。記事「フェルメールのクローゼット 」で、更新された内容では、この召使の服が「ハブリエル・メツーのティッセン・ボルネミッサ美術館にある「料理女」(1657-62)にそっくり。」らしい。
そして「手紙を書く女と召使 」では、この召使の下のスカートの色が変わり、ハブリエル・メツーの「手紙を読む女」 と同じになる。
この「恋文」では、「女と召使 」より、二人の主従関係がより親しくなっているかのように描かれている。「女と召使 」は直訳すれば「愛人とその召使」になる。
ちょっとテル・ボルフの「鏡の前の女」(1650) を引用すると、後ろ向きの女主人らしき鏡に向かう女がこちらを向くと、この「恋文」に描かれた二人の位置関係に非常に酷似していると思う。ただフェルメールの三作品目の「手紙を書く女と召使」では二人の服、髪を覆う白い布に変化したのは、一連の物語の結末なのか、それともまったく別な主従の二人を描いているのかわからない。
この時代の上流社会のたしなみともいうべき「愛人を持つ」という風俗の絵画作品になるのだろうか。箒、洗濯物、そして「部屋履き」(スリッパ)が、サミュエル・ファン・ホーホストラーテンが意図した、愛人のもとへ急ぐ不倫の女性が、家事をおろそかにし、上履きを履き捨てるように情事に走る女を描いているが、室内の情景の構図を利用しただけではなく、その作品の脱ぎ捨てられた「部屋履き」(スリッパ)の寓意も象徴しているようだ。
サミュエル・ファン・ホーホストラーテンはレンブラントの弟子だったこともあり、物語画、宗教画、集団肖像画も描いている。Tobias's Farewell to his Parents (トビアスと両親の別れ)、Christ and the women of Jerusalem (キリストとエルサレムの女)など。騙し絵は、1664年「スティル・ライフ (トロンプ・ルイユの静物)」(ドルトレヒト美術館)、1666-68年「スティル・ライフ (トロンプ・ルイユの静物)」(カールスルーエ州立美術館)がある。三重県立美術館にも1655年の「トロンプ・ルイユの静物 」が所蔵されている。
このフェルメールの「窓辺で手紙を読む女」は、1742年にフリードリヒ・アウグスト2世がレンブラントの作品として購入したもので、1801年にはレンブラントの弟子の作品となり第二次大戦後、モスクワに運ばれるが、1955年にドレスデン国立美術館に返還された。
レンブラント(Rembrandt van Rijn)の弟子にはホーホストラーテン(Samuel van Hoogstraten)のほか、イサーク・ジューデルヴィル、ヘラルト・ダウ (Gerard Dou)、カレル・ファブリティウス(Carel Fabritius)がいる。
1801年にホーホストラーテンとされていてもおかしくはないが、特定はできない。
サミュエル・ファン・ホーホストラーテン(Samuel van Hoogstraten)の作品
サミュエル・ファン・ホーホストラーテン 「キリストの復活」 1650 シカゴ美術館
サミュエル・ファン・ホーホストラーテン 「トランプをするエレガントなカップル」 個人所蔵
とにかくいろんな描き方ができる人で、デ・ホーホっぽく、レンブラントっぽく、そして騙し絵が得意で、肖像画家としても活躍して、「絵画芸術の高等画派入門」という著作まで書いて、結構いろいろこなせる人だったようだ。
この人が好きなのは、面白いことをそのまま作品にするところかも。
オラニエ=ナッサウ家、イギリスの王室に贔屓にされたようで、ロンドンやローマ、ウィーンと広く旅をすることができた。最終的にはどこかの大学の学長をしたという話もある。