こんばんは。

魂響書占 たまゆらしょせん 恵理子です。

 

 

『 ミア 17歳  生きていくのか 旅立つのか 』

 

 

17歳というと 娘と同い年。

 

そんなシチュエーションにも惹かれ

先月 このキャッチコピーの映画をDVDで観ていて

ある場面でとても違和感を覚えました。

 

 

注)ネタバレあり

 

 

イフ・アイ・ステイ ~愛が還る場所~

 

 

ストーリー抜粋します。

 

17歳のミアは

将来チェロ奏者になることを夢見る高校3年生。

 

恋人アダムと仲のいい家族に励まされ

ジュリアード音楽院をめざし特訓する毎日だ。


そんな彼女をある雪の朝、突然の悲劇が襲う。

一家が乗った車がスリップ事故に遭い

一瞬にして家族を失ってしまったのだ。

 

病院のベッドで

昏睡状態で横たわる自分自身を見つめるミア。

 

肉体から離れ魂となったミアには、

ベッドの彼女を取り囲む

おじいちゃんや恋人や親友が見えるのだった。


事故から24時間

このままこの世に残るのか家族のもとへ旅立つのか

 

辛い決断の時が迫る…。

 

 

抜粋ここまで。

 

 

 

私が違和感を覚えのは病院の場面です。

 

 

昏睡状態のミアはICUに入っていて

家族以外は面会謝絶。

 

恋人アダムがかけつけるのだけど

看護婦の

「ご家族以外は面会出来ません」

の一言でシャットアウト。

 

霊体のミアが

「なんでよ! (アダムを)入れてよ!」

と叫ぶものの 

 

生きている人たちにその姿は見えるはずもなく

アダムはミア本体に会うことが出来ないのね。

 

 

なんとなくのストーリー展開は予想出来たけれど

ここでは私もさすがに

 

「なんで 入れてあげないの!?」

 

「これで もし

  死んでしまうようなことになったらどうすんの!?」

 

と思いっきり2人の味方になりました。

 

 

その後 

どうしても2人を会わせてあげたいミアの親友が

アダムがICUに入れるように画策するのだけど

それも失敗。

 

なんとも歯がゆさを感じる場面でした。

 

 

病院側からしたら 

「重篤な場合 家族以外は面会謝絶」

って正当な規則よね。

 

患者を守るための規則であることもわかる。

 

 

でも 家族からの申請があれば

家族以外でも会えるとか

もうちょっと猶予を持たせて

なんとかどうにかならないもんかなーと

何よりミア本人が悲しむ姿を見てそう思った。

 

霊体の必死なこの姿が見えたら

「そんなに望むのなら会わせてあげよう」

って思う人 いると思うんだけどな。

 

 

 

ファンタジー要素を多分に含んだこの映画。

もちろんフィクションだってこともわかってる。

 

だけど これって 

現実に”ある”ことなんじゃないかなとも思ったのね。

 

 

臨死体験をしてこの世に戻ってきた人たちが

皆 同じことを言っているでしょ。

 

病室の様子や

医師や周りの人たちが話していたことを知っていて

「自分が横たわっている姿を見ている自分がいた」って。

 

 

ミアの霊体は

病院内を走り回っちゃうほどアクティブなんだけど

これも あながち嘘じゃないんじゃないかなぁってね。

 

 

「イフアイステイ 無料画像」の画像検索結果

 

 

生きている人からしたら

ミアは意識がなく 

これから生きるか死ぬかもわからない 

かろうじて息をして心臓が動いている

というベッドの上の人。

 

でも 霊体のミアは 

かけつけた親族や病院の人たちの会話を全部聞いていて

自分本体の容態や一緒に車に乗っていた家族がどうなったのかも

すべて把握し 今までの記憶を思い返してもいる。

 

生きている人となんら変わりはない。

 

 

ほとんどの人がミアを 

「生と死の間にいる人」

どちらかといえば「死に近い人」

と見るのだけれど

 

彼女のおじいさんを初め

手術を担当した女医 親友など数人が

彼女を「生きている人」として 

生きている時と同じように扱う場面がありました。

 

 

意識がない彼女の耳元で 手術前に

「生きるか死ぬかはあなた次第よ」

と囁いた女医。

 

いつものように いままでと同じように

彼女に話しかける親友。

 

おじいさんは生きるか死ぬかの選択を彼女に任せ

霊体のミアがまるで見えているかのように見つめ語る。

 

このシーン 1番泣けました。

 

 

最後にやっとアダムも

ICUのミアの元に来ることが出来て

自分の思いを歌にして届けて。

 

 

死にゆくかもしれない彼女の心に響いたのは

彼女を「生きている人」として接した人たちの言葉と 

その言葉にこめられた思いなんだろうな。

 

 

 

アダムが最後にICUに入れた理由はわかりません。

あれだけ規則に阻まれていたのに

誰にも邪魔されず 

ミア本体に触れることが出来ました。

 

ミアもそれをあんなに望んでいたんだものね。

 

 

「良かったね。」

 

 

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ラスト気になる方は映画をぜひ観てみてくださいね。

 

それにしても この映画を観て 

生と死について色々考えさせられました。

 

 

また その後少しして 

親友のお父さんが亡くなられたことと

病院での最期の様子をメールで知り

お父さんにしてあげたかったこと

(歯磨きや爪切りやお風呂)が

出来る技術を持っているのに

病院の規則で出来なかったこと。

 

彼女からのそのメールがきっかけとなり

父と息子と私 親子三代で

「延命治療」のことを話す流れにもなり

法律にも大きく関わるそんな簡単じゃないことを知り

 

改めて思ったんですよね。

 

 

「キマリってなんだろう?」って。

 

 

人を安全に幸せにするために 

規則や法律 ルールというものがあるはずなのに

 

映画の中でそれらがない状況で

アダムとミアがやっと会えた時

私は本当に心から 

「良かったね」って思ったんだもの。

 

 

規則や法律 ルールという「キマリ」で

人の心情とか その時とても大切なものが 

実は隠れて見えなくなってないかな と。

 

 

医療についてだけでなく 

他にも感じたことがあったので

続けて書いてみます。

 

 

 

キマリってなんだろう?(2)

 

 

 

(赤)ジプシーカード 34 Priest 司祭

 

教え 信念 アドバイス

 

神の声 常識 一般論 まっとうな意見

 

何を信じるかは人それぞれですが

結局の所 あなたの信念の現れだということを

冷静にみつめ 見極めましょう

 

なぜ 自分はそうしんじているんだろう?と

根本的な思いを見直してみる時でもあるようです 

 

最終的に「自分で選んでいる」ことをどうぞ忘れずに