四国攻め その1【岸和田城】
四国攻めのとき秀吉が指揮をとった場所
【概要】
1585年6月、秀吉は四国への出陣を決定し、淡路から阿波・備前から讃岐・安芸から伊予の三方向から四国への進軍を命じます。
当初秀吉は6月3日を四国出陣の日に予定していましたが、
病のため自らの出馬を諦め、代わって弟の羽柴秀長を総大将、副将を甥の羽柴秀次と定めます。
6月16日、秀吉は岸和田城に在陣しつつ、秀長以下の諸将を四国へ侵攻させました。
【住所】
大阪府岸和田市岸城町
【地図】