四国攻め その2【白地城】 | 歴史の舞台に立つ!!

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四国攻め その2【白地城】

秀吉の四国攻めのとき 長宗我部元親が本陣を置いた場所





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【概要】

長宗我部元親は、1585年5月四国4ヶ国の境にあり各方面と連絡が取れる阿波西端の白地城の本陣を置き、全軍を指揮します。

秀吉10万超の軍兵に対して長宗我部軍4万の軍兵のため劣勢は否めず

7月には、東の秀長・秀次勢、西の中国勢で元親の白地城を挟撃する態勢をとられます。

重臣の説得の末 元親も最後には折れ、7月25日付の羽柴秀長の停戦条件を呑んで降伏します。

1585年7月。 当時秀吉48歳。



【住所】

徳島県三好市池田町白地(あわの抄入口に案内版あり)

※池田高校近く


【地図】


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