北方領土 | 歴史エッセイ集「今昔玉手箱」

歴史エッセイ集「今昔玉手箱」

本格的歴史エンターテイメント・エッセイ集。深くて渋い歴史的エピソード満載!! 意外性のショットガン!!

1644(元和20)年に江戸幕府が作成した「正保御国絵図」
には、松前藩が支配している蝦夷地として北海道本島、樺太、
千島列島が記されている。

1799(寛政11)年に幕府は、松前藩から東蝦夷(胆振国・
十勝国・日高国・釧路国・根室国・千島)を取り上げて直轄領
にして、1802(享和2)年に箱館奉行を設置した。
幕府から蝦夷地防衛を命じられたのは、仙台・南部・津軽藩
だった。1809(文化6)年には樺太を「北蝦夷」と改称した。

1807(文化4)年には西蝦夷(石狩国・天塩国・北見国)
松前藩から取り上げて、松前藩は福島の伊達郡梁川9千石の
小名に降格。16年後に東西蝦夷地は松前藩に戻されるが、
1854(安政元)年に日米和親条約が締結されると、再び
幕府直轄領になった。

仙台藩が箱館奉行所の本陣屋を置いたのは、現在の白老町。
厚岸・国後・択捉に脇陣屋を置いて北方警備の任にあたった。
ゆえに北方領土は仙台の郷土史でもあるのだ。


1854(嘉永7)年3月に日米和親条約を締結した後、
11月に日英和親条約、12月に日露和親条約を締結した。

定め、樺太を雑居地として、日露両国民の居住地とした。


1875(明治8)年、日本とロシアは、樺太・千島交換
条約を結び、千島列島は、日本領 樺太はロシア領と決めた。

1904~1905年の日露戦争では、日本が勝利して、ポーツマス
条約でロシアは樺太の北緯50度以南の領土を永久に日本へ
譲渡することになった。

第二次世界大戦の1945年8月~9月、ソ連軍は南樺太および
全千島列島を占領。1946年1月、GHQの指令により、
南樺太・千島はソ連の行政管区区域になりました。アメリカ
が南樺太・千島はソ連領だということに賛成したからだ。

現在プーチン大統領は、2島返還で決着をつけよう!」と
提案しているようです。これは1956年の「日ソ共同宣言」
でそう決められ、両国議会で承認されているからだ。
今回安倍首相特使の森元首相は、3島+αあたりでどうか・・・
という腹案を持って訪露するようだ。