国見八景・第7景「大願寺横丁」 | 歴史エッセイ集「今昔玉手箱」

歴史エッセイ集「今昔玉手箱」

本格的歴史エンターテイメント・エッセイ集。深くて渋い歴史的エピソード満載!! 意外性のショットガン!!

 私の家の近所は、寺と墓地が数多くある。「墓地が恐くて
国見に住めるか」と言ってみる。まず、門を出て約10
メートルの所に、西本願寺仙台別院の墓地がある。
その東に、浄土宗大願寺、超光寺、称念寺、永昌寺、
充国寺、昌繁寺、荘厳寺、正円寺、称覚寺、恩慶寺という、
浄土宗系の寺と墓地が並ぶ。
 正円寺の隣には、曹洞宗江厳寺があり、臨済宗輪王寺と
北山五山の禅寺を加えると、20余の寺社が密集して
建ち並んでいる事になる。墓は3千を越える数になる
だろう。
 そもそも「墓」とは、土で人をおおうという意味である。
盛土を「墳」と言い、樹木を植えて墳墓と呼んだ。
古代の人々は、地下世界を死者(死霊)の住居として
怖れていた。死者は危険で恐ろしいものであり、生者に
対して害を成す存在だった。
 石には、死霊や悪霊、あるいは外敵を封じ込める霊力が
あると信じられていた。イザナギ命が黄泉国から逃げ帰った
時、黄泉国に通じる穴を石で塞いだという話もある。
 狐という動物は、古墳の穴を好んで棲家にしていた。
そのため人々は、狐を見て死霊や祖霊の化身だと思うように
なった。この考えはやがて、狐を霊獣とする稲荷信仰と
結びついてゆくのである。
 古墳は権力者の象徴であるが、当時は霊魂も上層階級
の者のみに存在していた。一般人に霊魂は無く、死体は
野原にはふ葬られていた。「葬」とは、草で人を
おおうという意味である。京の都では、主として加茂川に
死体を投げ捨てていた。墓石の下に土葬するように
なったのは、室町時代以降に、主として浄土宗系の寺が
開創してからである。

 かつて大願寺の隣には、仙台市営の火葬場があった。
灰色の高い煙突から、人体を焼く真っ黒な煙が立ち昇って
いた。私はその煙を見ながら、近道だった称念寺の墓地
を通り、大願寺横丁のゆるやかな坂道を下って、
荘厳寺内の幼稚園に通っていた。
 親鸞上人ゆかりの称念寺門前脇には、福来心理研究所と
いう看板を掲げた家もあった。この研究所を主宰していた
福来友吉(1889~1952)は、東京帝大で
「催眠術の心理学的研究」で博士号を取得。
1910(明治43)年からは、御船千鶴子、長尾郁子、
高橋貞子、森竹鉄子ら、念写や透視能力があると思われ
る者の実験を行い、超能力研究を行った人物である。
「貞子」という名から、映画「リング」を思い起こす
人もいるだろう。思い返すと、なんともホラーな
通学路だった。
 今では約97パーセントが火葬の日本だが、カトリック圏
のアメリカは、火葬率13パーセントと、土葬率が高い。
イギリスやデンマークも50パーセント程である。
死者が肉体と共に蘇る「ゾンビ」は、土葬的恐怖と
言えるだろう。
 死者に対する恐怖といえば、仙台心霊スポットという
噂話集成のホームページがある。旧火葬場という事もあり
、大願寺界隈にはよく「出た・見た」というコメントが
載っている。だがこの界隈に出現する幽霊にまつわる
因縁話は、単に火葬場があったからというだけのものでは
なかった。
 大願寺門前には、樹齢250年のたらよう。称念寺には
樹齢300年のきゃらぼくとカリンと姉妹いちょう。
正円寺には樹齢360年の赤松。荘厳寺には樹齢350年
の如意笠の松と、樹齢200年のもみじ。充国寺には
樹齢350年のやしおかえでという具合に、この寺域一帯
には、古樹が数多く残っている。
 古樹の存在は、空襲で焼けていない地域である事の証に
なる。1945(昭和20)年7月10日午前0時03分。
グアム島の第58爆撃隊のB29124機は、仙台湾南東
海上から仙台市街地に侵入。高度4千~6千メートル
上空から、油脂焼夷弾による空襲を開始した。午前2時
30分頃まで、5編隊による波状攻撃を行い、市街地は
火炎地獄になり、1066名が死亡した。
 死因の大半は焼死か窒息死で、213体が身元不明遺体
だった。このうち108体が大願寺に、76体が子平町の
寿徳寺に、29体が新寺小路の松音寺に葬られた。
大願寺界隈に現れる幽霊は、どうやらこの無縁仏と
関係があるらしい。火炎地獄の恐怖と無念さに、改めて
合掌。
 そもそもB29による無差別焼夷弾爆撃を発案したのは、
第二十航空団司令官で、「爆撃屋」と呼ばれたカーティス・
ルメイ少将である。彼は、日本本土に十分な夜間戦闘機が
無く、高射砲もレーダー管制でない事から、夜間、低空に
よる焼夷弾空襲という戦法を編み出したのだった。
焼夷弾とは、火災を発生させて住民を焼き殺す事を目的に
した爆弾の事である。
 無差別都市空襲は、1944(昭和19)年11月1日
から、翌年8月15日未明まで、延べ1万7500機の
B29で、16万トンの焼夷弾を投下。死者35万人、
221万戸の家屋が焼失した(原爆被害を除く)。
東京、横浜、大阪、神戸などの大都市はもちろんの事、
中小都市までまんべんなく、丹念に空襲して
いった。
 このカーティス・ルメイ少将。戦後、日本の航空自衛隊を
育成した功績により、政府から勲一等旭日大綬章を授与
されている。戦争の理不尽さを象徴するエピソードである。


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