レッドソックスファンの人生ブログ





ヨハン・サンタナ


地元のアマチュアチームで遊撃手をしていた父ヘススに憧れ、11歳のころに地元リトルリーグのトライアウトを受験 。父親の右利き用グラブを使って遊撃手としてプレイしていたサンタナだが、コーチに左利きであることを見抜かれると、外野手へ転向。

1994年、サンタナは15-16歳クラスの全国大会に出場。このとき、ヒューストン・アストロズがサンタナの強肩ぶりに注目。当時のMLBは選手会によるストライキの最中だったため、予算を凍結していた球団は旅費すら出さない姿勢でいたが、何度も何度も説得を試みるスカウトの熱意に最後は折れ、GMのボブ・ワトソンが旅費を自費で用意。サンタナアストロズのアカデミーに送り込まれ、そこで3か月を過ごす。それまで外野手だったサンタナを、腕の振りが速いことに将来性を見出し、投手として契約。

1996年 、サンタナはドミニカ共和国のドミニカン・サマーリーグに送り込まれ、そこでプロデビュー。救援投手として40イニングを投げ防御率 2.70・奪三振率 11.5という好成績。翌1997年にアメリカ合衆国へ渡り、主に先発投手 としてマイナーリーグで3シーズン。1999年にはA級でチーム最多の26試合に先発し、防御率4.66・奪三振率8.4・WHIP1.35を記録。チームメイトのロイ・オズワルト に次ぐ先発2番手として活躍。

同年12月、この年のリーグ最低勝率だったミネソタ・ツインズが、ルール5ドラフト指名対象となっていたサンタナに注目し獲得。

2000年4月3日、サンタナデビルレイズ戦でメジャーデビュー。2002年 、開幕をAAA級エドモントンで迎えたサンタナは、投手コーチからチェンジアップを習得し、5月にメジャーへ復帰。この年リーグ最多の15個の暴投を記録したものの先発で7勝を挙げ、その一方でリリーフ登板もこなし、ツインズ11年ぶりの地区優勝に貢献。王冠12003年、前半戦はほとんどリリーフで登板、先発に定着したのは7月途中。8月・9月の2か月間で8勝を挙げ、ポストシーズンでも先発したサンタナだったが、肘を傷めたためシーズン終了後左肘の骨片除去手術。病院

2004年は開幕から先発ローテーションに定着し、前半戦に7勝6敗・防御率3.78。さらにオールスターゲーム後の後半戦に成績を伸ばし、15試合で13勝無敗・防御率1.21を記録、 月間最優秀投手賞を7月から9月の3か月連続で受賞。最終的には20勝6敗・防御率2.61・265奪三振で最優秀防御率・最多奪三振を獲得。3年連続地区優勝を果たしたツインズのエースとして、ポストシーズンではヤンキースとの地区シリーズ第1戦に先発し勝利。さらに第2戦・第3戦とチームが連敗して後がなくなった状況では、監督のロン・ガーデンハイアーに直訴して中3日で第4戦に先発、この試合ではチームは延長戦の末に敗戦、5回1失点のサンタナはチームの窮地を救うことができませんでした。シーズン終了後にはサイ・ヤング賞を満票で初受賞王冠1し、4年4,000万ドルというツインズ投手史上最高額での再契約。お金

2005年は、22先発連続3失点以下という記録(メジャー歴代2位)が4月5日に、昨シーズンからの通算17連勝が5月1日に、それぞれ途切れるという滑り出しだったが、オールスターゲームに初めて選出される。前年同様に後半戦に強さを見せ、2年連続奪三振王、16勝7敗・238奪三振・防御率2.87


2006年 春、国際大会の第1回ワールド・ベースボール・クラシック(WBC) に母国ベネズエラ代表 の一員として参加。ドミニカ共和国戦キューバ戦の2試合に先発し2敗。その後始まったMLBのレギュラーシーズンでは、19勝・防御率2.77・奪三振245と主要三部門すべてでリーグトップ、投手三冠を獲得。王冠1シーズン終了後には、2年ぶりにサイ・ヤング賞を受賞。王冠1

2007年は成績を落とし、リーグワーストの33本塁打を浴びて防御率が前年から0.50以上悪化、さらに自身初の2桁敗戦となる13敗。また、地区首位を争うインディアンスとの試合に6度先発して0勝5敗と、ツインズが地区連覇を逃した要因に挙げられます。それでもWHIPはリーグ最高、奪三振数もリーグ2位。8月19日のレンジャース戦では17奪三振を挙げ、1試合の奪三振数で球団記録を更新。9月26日のタイガース戦では3回で降板し、2004年5月29日以来続いていた「123試合連続で先発・5イニング以上登板」の記録が途切れます。


ツインズはオフに4年8,000万ドルでの契約延長をオファーしたものの、サンタナがこれを拒否。財政力の乏しいツインズは、2008年のシーズン終了後にFAで出て行かれる前にトレードでサンタナを放出し、見返りに他球団から将来有望な若手選手を数人獲得することに・・・。サンタナ獲得にはニューヨーク・ヤンキースボストン・レッドソックスなど、資金力の豊富な球団が手を挙げますが、サンタナほどの投手になると交換相手の若手もそれなりの相手が欲しくなります。結局、交渉は決裂、ニューヨーク・メッツが交換相手を提示し、ツインズはトレード不成立になるデメリットを考え受諾。サンタナメッツは当日になり交渉期限を午後7時まで延長した末、投手史上最高額となる6年1億3,750万ドルでの契約延長に合意 お金。このとき、ホームゲームでサンタナの家族がニューヨークに滞在中は球団が高級ホテルのスイート15人分を用意するという条項も含めました。

ちなみにツインズが要求した相手とは(推定)、

ヤンキースジョバ・チェンバレンフィル・ヒューズロビンソン・カノーミルキー・カブレラ

レッドソックスジョン・レスタージャコビー・エルズベリークレイ・バックホルツ


メッツは前年のシーズン、フィリーズに逆転されてポストシーズン進出を逃していました。高い期待が寄せられた移籍1年目の2008年、サンタナはリーグ最多の234回3分の1を投げ、防御率2.53とクオリティ・スタート28回がそれぞれリーグ1位という安定した投球を披露。特に後半戦に成績が上向き、8月・9月はともに月間防御率が1点台で、9月には月間最優秀投手に選出。奪三振率が6年ぶりに9.00を下回ったほか自己ワーストの63四球を与えるなど成績が落ちた部分も・・・。9月にフィリーズに逆転されてまたも地区優勝・ポストシーズン進出を逃します。

シーズン終了後、サンタナは左ひざの手術を受けたため、2009年春開催の第2回WBCは欠場。レギュラーシーズンでは開幕から好調。史上4人目となる「開幕4試合で防御率0.75以下かつ奪三振36以上」という成績を残し、4月の月間最優秀投手賞を受賞。7月11日のレッズ戦では通算119勝目を記録、フレディ・ガルシア が保持していたベネズエラ出身メジャーリーガーの通算勝利数記録を更新。シーズンでは13勝9敗、防御率3,13でしたが、左ひじを手術病院することになり、そのままシーズンを終えました。投手陣のリーダー格としても役割を果たしていました。

続く2010年、好投を続けますが、打線の援護が少ないこともあり、11勝9敗、防御率2,98。左肩を痛め、9月2日の試合を最後に戦線離脱、手術。これでメッツ移籍後3年連続で、故障によって手術。 2011年シーズンはリハビリと静養で、メジャー登板なし。

2012年に左肩の手術から復活し、6月2日の本拠地でのセントルイス・カージナルス戦に先発。5四球を与えたものの9回134球を投げ切り、ノーヒットノーランを達成クラッカー

主な球種はフォーシーム 、チェンジアップ 、スライダー、カーブ。ツインズの正捕手としてサンタナの球を受けていたジョー・マウアー「どれをとっても彼の球種は平均を遥かに上回る」と評価。

その中でも軸となるのが、同じ腕の振りから繰り出される速球とチェンジアップのコンビネーション手裏剣ツーシームで軌道を動かしてくることもあり、厄介です。



闘志を前面に押し出して投げるタイプの投手ですが、冷静にコーナーを突いてきますし、緩急も抜群です。サンタナが万全な状態でマウンドに立てば、間違いなくチームの勝利に貢献できます。



<最終更新日 2012年9月3日>