初めに聞いた時は今ひとつよくわからなかった。

「病気の腎臓を移植した」

それはわかる。で、それは医療ミスなのか?そうでなければ何故そんなことをしたのか?病気の腎臓を移植することが意図的に行なわれたなら、何が目的なのか?ふと頭をよぎったのは、同じ病院で発覚した臓器売買の事件だ。金が目当てなのか?

続報にふれるに連れて、色々な事がわかってくる。

手術を受けた患者は「先生には本当に感謝している」と言い、また別の患者は「腎臓を取るとは聞いていなかった」と言う。

今のところ、病気の腎臓を移植されたことによって亡くなった方がいるという話は出ていない。しかし、色々と調べられていくうちに様々な問題がありそうだとわかる。

執刀に携わった数名の医師によってそれは秘密裡に行なわれたらしい事。

つまり病院には概ね伏せられていたわけで、当然倫理委員会やら第三者からのチェックを経て行なわれたわけではないらしいこと。病気の腎臓を移植するなど学会では認められていないし、また執刀した医師はその移植学会に加入していない事。これはかなりあやしいというか、危うい事が彼ら(執刀医師)にとってはごく平然と行なわれていたようだ。


百歩譲って、「患者を救う為にやった」としよう。だが、それで或る人が救われたのだとしても、腎臓を取られた患者はどうなる?他人の身体の中で問題なく機能している腎臓ならば、それは限りなく「取る必要のなかった腎臓ではないのか?」という疑念が当然湧く。取る必要はないが、取ったところで身体の機能に問題は無く、だからという理由で他人にあげてその人を生かしたとすれば、これは医者の傲慢以外の何物でもない。何せ、その腎臓の「使いみち」を本人には「伏せて」取り出しているのだから、正当な行為でない事は明らかだ。執刀医師は「親族間でしか行なっていない」と虚偽の説明をしている。他人との間での生体移植は認められていないのだから「内緒でやる」しかなかったわけだ。


この医師、しかも瀬戸内グループなる複数の医師が関わっているらしいが、どんな処分になるのか見守りたい。恐らく想定していなかったことだから、事実の解明を含めてもう少し時間がかかりそうだ。


この問題を考える時に、こういう事が起きた理由は「脳死による臓器移植が進まないからだ」と考えないで欲しい。法律に則って正規の手続きを踏んでの移植がかなわないからといって、秘密裡に臓器を取り出された方はたまったもんではない。この一連の手術を指揮した医師は「ゴッドハンド(神の手)」と呼ばれていたらしいが、神の領域にあるという比喩は、むしろ逆説的なものとなった。問題が発覚した事で、それは「悪魔の手」だった事が露見したと言える。


かつて日本で初めて行なわれた臓器移植「和田移植」は、その密室性と閉鎖性故に様々な論議を呼んだ。それが適正に行なわれたのかどうかが最後まで明らかにはされず、裁判を経ても結局は闇の中。その後長い間、臓器移植を誰もやろうとしなかった事実を考えれば、極めてグレーな黒に近い手術だった事がわかる。

法律に則って行なわれた、高知赤十字病院の日本初の臓器移植においてさえ、正当な手続きをいくつもの点で踏んでおらず、あのドナーが「正当なドナー」だったかどうかは疑わしい 。緘口令が敷かれたり、カルテに改ざんの疑いが残ったり、看護士の書いた文章がこっそり訂正されたり 、そこにまつわるヤバイものは徹底的に隠蔽される傾向にある。


医者は神様なんかではない。絶対にない。