とある男の人や、いつも見えるお団子頭のおばちゃんらは、自分の霊体が薄くなったり形を保てなくなると
うちの側によってきて、何かをたべている、
ほんまに、手で取って口に入れる動作をしよる。
本家の家で疲れて横になっていて、フト顔を横に向けると白いギリギリ形のある人形の透明なものがみえた。
それが手の部分から妙に長いものでうちの身体の周りの何かを取って口へ運ぶのが見えてビックリした。
これは、21ぐらいの時か、まだ何も知らん見えだした頃やね。
そっから昨日
とある人がうちの霊体からパッパパッパでる気を、パク、パク、と食べている霊界が見えた
そこは空はピンクの霊界やけど、地面があって、山の上のような
春の草が薄緑に元気に生えていて、そこでうちを抱きしめて、霊体からでる気を霊体の数cm上から食べる動作をして食べていた
うちの霊体はかなり濃くて気がパッパと出ている
まあ、富士の火口から富士の山頂に出ている自然界の気と質が同じだから、ブチ切れたら富士が連動して動くけんブチ切れるなよと言われたのもここにある。
霊気が高いがよ。
人の病気というのは病気しても生きるか生きんかはその病気によるだけのもんじゃない
癌になったとして、5年以内に大概は死にますといわれてもしぶとく生き残っていたり
見た目シコリの癌やにリンパに飛んで2ヶ月で亡くなった人や
シコリが癌とわかって怖くて病院にいけずにそこのシコリが腐って皮膚を中から突き破り褥瘡のようにただれた同じ病気の人もおるのに、その人は死なんと生き残ったりね。
信仰心の本来の狙いはこの霊気を吸う為の心の持ち方である
そして道理道徳をなるべく守らせるのは、霊気を素直に吸う為に下手な自我を確立せずに素直な心を残せる、肉体面からの動作を仕入れるところに根拠はある。
道理道徳を守らんでも素直さがある人は、先祖の徳があるがよ
でもその人で家は終わるわ。使い切って。
素直さがもてない
というのも、その人と先祖に徳がない事でも起こる
徳がない人はおらん
余分にないだけで。
生きているだけ守護される徳はあるが
金を多く取ったり健康を維持したり、人を陥れないように道徳を学ぶための徳がなければ
生きる屍やね。
いくら、運命を変えてくれる裏で有名な占い師に会えたとして
その人に会えたまではええけど
お財布にある一万円を突然出しなさいと言われて素直に出す人と
占いで使うお金しか持ってないとゆう人とでは
そこで先の寿命が変わるのに、出さなければそのまんま死んで行ってしまう人もおる。
運命を変える場所には先祖がつないでくれて行けた
だが、そこで自身がどうするかの選択肢には先祖は手を出さない。
素直に聞くか聞かんかやね。
しかし、これは大昔のことで、本物はもうおらん。
おっても人を店を開いて見る事はしてない。
話が少しズレた
厄を祓う頭は私の考えではない
かというて厄に死なれる考えもない
ギリでその時を過ごすこと。
そして厄年は人によって違う。
その人が素直であれば、厄年には霊的な事を一切信じない人でも、助けは入って生きるが、いろいろとあるだけだ。
なに、いろいろとあってもガチもんで人生地に足をつけて乗り切ればいい。
お祓いも神様も一切いらんさ。ただ乗り切ればええだけ。
その代わり今まで使えた同僚や助けてくれる身内は全部潰す、お前を助けれんようにその期間のみ。
タイミングを全部外す。
やけん厄年がしんどいのは、自分で全部背負って進まんといかんけん大変というがやけん。(笑)
まあ、厄が開けたら違う運気を呼んでもらわんといかんけんにゃあ。
今までのレベルでおられちゃあいかん。
かというてレベル上げなどとゲーム感覚にもなれるほど楽な事はこない(笑)
お前の人生そのものが困るのだ。
ああ、いかんいかん
そこでだ、厄年の話はこれくらいにして
伊勢神宮
出雲大社
不動明王
有名な神々を祀ること
つまり会社に神棚をおいて神を祀ることは
神気ともゆうが、高気というのをその場所に降ろしている。
この高気は見分けがつらく、人が持っていてもその人が金持ちで健康であるわけではないし成功というものを人生でやっているわけではない。
まあ、私の場合は性格的に妙に派手になってしまったが
本来同じ物を持っていても、有名になるわけではない。だから見つけにくいのだ。
高気というのは神霊が持っている
神霊というのは真理そのものである
そして霊の中でも最高位
それをこの世で神と人はゆう。
さてさて
思考の現実
ものが見通せる目
当てる勘
よむ勘
というのは、この高気の流れがどこに向いているかを読める人である。
まあ、うちらが『こうするー』って言うたことが本当に起こるのは
この気がその指定した場所に行って、それがそれの運気となり現実で動いてしまう。
という仕組みである。
それを力だなんだというが
ただ単に霊気が高いだけである
霊気が高いだけではなく質量も含んでいるから大きな事が起こる。
さて
病気の話に戻ろうか
病気をした人がどれくらい生きるかは、身体が病気しても中の霊体が朽ちてきたり薄くなったりしなければ、病気になっても持ち堪える。
しかしいくら健康であれど
本人の霊体の質が年とともに悪くなり、朽ちてくれば多少の病気も耐えられず即死する事もある。
この霊体のご飯である霊気は本来自然界から自身の霊体に吸わせるものである。
海や山や川に行き、歩いてみたり
スポーツで身体を動かして血の循環を上げる事でも、霊体から気が流れ出て朽ちるのを防ぐ
そして一番簡単な方法は、食事である。
自然界の物を
つまり新しいものよ
新しいものを新しいうちにたべてやること。
自分が長くいる土地で育ったものなら尚良いという。
身体と霊体は連動していてバランスは必要
つまり、心身ともにとそれをゆう
まあ、あんまり言いたくないが
心が綺麗できちんとして清潔感があり、道理道徳がある女がおったとして
もしくは男がおったとして
それを上手く抱けば、相手との気の交流になって運気が上がる
運気が良い人を抱くのが一番早いが
じゃあそんな人が見分けれるかってゆうたら、よう見分けがつかんろうけん
神様信仰する方が早いよね?という感じよ。
あと食事、睡眠、運動よね
自然界から気をとり≫食事
睡眠により霊界に魂を帰らせ先祖と交流し≫気の補充
運動により血液を回し≫気の漏電とストレスによる気の削減を抑える
を実行することやね。
因みに動物ってもんは
霊力があるから、馬鹿でなければ主人の邪気を退けたり軽減したりしてくれている。
因みに猫は霊力がとても高く
恩を感じる程の猫なら主人の癌を肩代わりして自分に映して、死んだり
その家の子らが事故をする厄年に猫が変わりに死んだりするだろうよ
私も凄い人を怪我させるはずの時にたまたま逃れたら猫を殺した
偶然に偶然が変に重なって確実に殺した日やったね。
もしかしたらその日利用者を殺していたかもしれない
車に乗せてくれた人が利用者さんにシートベルトをしてなくてね。絶対にシートベルトがないと転倒する人やって、車椅子も金具でロックされていなかったまんま家に着いた人やったわ。
気は配っていたけど、その日に限って少し遅れてスピードを出していたが、普通いつも身体や車椅子が動くカーブで一切動かず、変な違和感を覚えたが
家に着くとなにもされておらず
よくあのカーブで一切ブレなかったものだ
車椅子をロックしてシートベルトをつけてもいつもなら揺れて危ないのに
と思うて帰った日に。なぜかトイレ掃除がされてなくて、きちんとして遅くなって帰りよったら猫を殺したね。
それがどういう意味やったか、わかるがってね、自分で。