知らんかった。山あり谷ありって意味。 | 『真理と道理・人と神』

『真理と道理・人と神』

あの世とこの世のことから人の心や魂や家系の先祖、そこからの道理と常識の大切さを書いています
また先祖や神からの気付きや言いたいこと乗せてます





最近この人のYouTubeたまに見る



この人マジで普通の事しか言うてなくて

おーーーーーー

本当に普通や。

霊的な事を知っても普通の事を言っとる。

と、

なんでこれが普通にできんのかが不思議な人がスピリチュアルや宗教で多かったけど


これでええんよ。



まず当たり前の事をしなはれって。



地に足が着かずして何が神様じゃ。








いや、うちがびっくりしたのはここではない



いや、この動画は大変勉強になったが



昨日同じ事を思って片付いていたんだ。



いつもいつも、こっちが片付いたタイミングで欲しいものが出て、結局自力になるんだが。






いやいや、そこじゃない




山あり谷ありの人生


ってゆう言葉の



山ありのところ



これ、良い事を山とし、悪い事を谷というがやね




39



いや、何歳やっけ、38か

うち38年




山あり谷ありって、山を登る苦しさと、谷を渡る苦しさがあり、って事やと思うていて、不幸に不幸が重なり良い事が一寸もない例え、と思うていた。




山って、良い事だったの!?と




山って登るの大変やんか



ここ数日ずーーと坂を、猪の頭をつけたチャリこいで上がったり


4歳の子供の手を引いて20リットルの灯油と花束を持った自分が山を登り谷を抜けとやってきたもんで



まさか山あり谷ありが、良い事と悪い事という意味とは知らんかった


悪い事に悪い事の連続の人生ですが

いや、詳しくは苦労と心労と努力の人生ですがっていう意味かと思いよったのにびっくり。





因みに、女の人生には四季があるがと。



でも男には四季がないってゆうた。



つまりバイオリズムの人生が男にはないがやと。




うちは一つの人生で四季をするって先祖がゆうた


37年冬の森を一人でを歩いてきて、やっと春が来たと先祖がゆう



うちは秋生まれやけど、多分冬から始まって今春なら、年を取って死ぬる頃が秋やろう


実りの秋ってね

人生実ったものを刈り取って死ねるかね。




多分女の身体には子供を生む機能がついて、月のものがある。

その月経は月の重力にも影響されてホルモンや身体の周期、更には運気にも影響するがやろう。



となればますますそんなものを持つ女の身体で天皇をする事はやめておいた方が良い。



ブレぬ男がよいわ。



いや、700メートル程の急な坂道をチャリに20キロの猪の斬られた頭を後輪につけて止まらずに上までこげる心労を耐えきれるのであれば、身体がバランスを崩しても中の大黒柱は立ったまんまやろうけんかまんけど



しんどいでー。



そこへ守護だといって、助ける人間をわざと置かれてもう、心が折れてへばる時に背中を押されて坂の上まで必ず行く守護がついてみい。



地獄やね。




生地獄。




心が折れてしまえばええが、折れる事を防がれると、休む間もないので、ずーーと頑張って人生いくけん生地獄となり、山あり谷ありの意味を苦労と心労という意味に普通にとる。





皆凄い面持ちでゆうやんかね


人生、山あり谷ありですね、と


良い事もあったんかい!!!とツッコミたいわ。








そうそう、昔からそうながやけど



この身体って産まれた時から大勢の昔死んだ人に怨まれて、結構呪いとかも含んじょるみたいながよ

あーーー、そこに先祖がせないかんかったことをせんかったせいで神罰も入っちょるといいよったね


普通怨みと呪いをのけんと死ぬるがやけど、そこへ神罰が重なって死なさんようになっちょるってゆう凄いバランスながって


またうちの先祖がスパルタで、退けんまんまうちを殺さずに生かすがちやね(笑)



もう、何もかもがひっちゃかめっちゃになってゴチャゴチャ!ってしてこんな事になっちょる。




そして退けるの面倒ーーーってゆうて、呪いも怨みもつけたまんま実力行使で進むってゆう、呑気な頭の魂が入っちょるろ。



退けるの時間の無駄やし面倒やんか。



それにわざわざわかって重りつけちょるがやし。




別にもう、好きにできるならなんでもええがってね。




それに、うちと同じものが見えて、うちのこれらに直接触れて退けれる人間がおらん。

ただ、うちに影響してうちが自分で退けろうかねってゆう気にさせれる人はおるけど。




まあ、こんだけやりよるがやけん、ここは絶対ゆう事きかしてよ、重りつけちょるがやけん交換条件で、ということで。

そういう意味でも退けてないまんまやりよるがやけど。





それとねー

怨みと呪いのええところは、悪い事が起こり過ぎて浮つかん事と、もう凄すぎて笑いが出て



パッパラパーになるってことかね。


山川海がないなって、チェーーイ!なんでもござれやーい!になって、オーーラオラオラオラオラーーーー꜀( ꜆^. ̫.^)꜆になる。


まあ、考えてダメなら動くだけ。

考えるの無駄なの知っちょるけん、片っ端から片付ける!ってゆう習慣があるけん

まーーーーーー仕事ではそこは動くなという時には皆から激しく止めに止められるわ。





本間に危ない事が起これば人は悩むろうけど、うちその時こそやっと枷が外れて自由にできるけん


楽ながって。



あーやっと自分をそのまんま出してもおかしくない問題が来たか。



やれやれーって思うてめっちゃ、心身共に楽になる。

身体の痛みや頭痛ものくし、肩こりものくし、できたらずーーと災害をやっていてほしいけど

そうもいかんけんね(笑)




人でおらんでええ瞬間よね。





そうそう、呪いや怨みプラスに、自分に戻らんように大神が幾重にも感情に鎖をかけちょるがよ。

封印よね。

プッと思うた事が、バーン!って起こるし

能天気なもんでこの世の道理とかより天国よりな感覚やけん、やったらいかん方向も罪を負わずにやる事ができるけんね。

でも国と連動しちょるけんそれをやられたら国家が攻撃されたり、自爆するけん大神としたら困るがやろうね。




でもこれは、とある方向に進むのなら封印は関係なく邪魔にはならず、

本来の自分を超える自分にもどらんことだけに封印がかかっているのであるだけで

これが退くのが国が危ない時ながよねー。自分はここを望むけど、その為には多くの人が死ぬるってゆう条件がいるけん、人生で楽になれる日はまずほぼほぼこんろう。無敵時間が人が死ぬる災害時だけってゆう。

矛盾でねー人生って。生きるって。





毎日が重い!のに!



誰かさんがちょっかいもかけてくるけん、めっちゃ大変。





やけど、大神としたら

本心が呑気に思いっきり表に出たらなんでも「やろーーー♫」ってゆうて悪い事もなんでも起こるけん


本心の出し方を人が不幸にならん、良い方面で出す練習をさせよると、思うちょるがよ


本心って普通素直なもんやけんそのまんま出るやんか。



でもうちの感覚ってこの世とは違うし、違うことも自覚しちょるけんよ。視点が人と違うけん。

なら自覚あるなら不幸が起こらんようにええ事を思うて出したらええって思うやんか。

と、いうても、うちには不幸がないがよそもそも。

この世でどれ程悲劇が起こってもなかなか何億何万年と生きていたら、あ〜死んだ後の世界があるけん、これくらいって思うて感覚が合わせれんがよねー。

もちろん、人が人としてを踏み外した違和感としたものはわかるけん、んー死んだやーってゆうて殺すけど。その殺すというのも、うちらからしたらあの世をわからん人とは価値観や重さが違うけんね。




でも唯一人と視点を合わせろうと本心がするのであれば、好きなものがあったらそれに近寄って考えも感覚も合わし出すろうけん



多分奴を持ってくるがやろうね。本心が素直に天国の感覚でニコーーってして一言世界に向けて爆弾発言をせんように。


今では思考の現実ではなく、言葉一つでどうにでもなるけんね。

かというて自我の自分には止めれんし。



やけん大神が本心の守をさせよるがやろう。



『この人は問題がない人』『大丈夫』



と着物の神様がゆうけど

神様視点で問題がないとは

何をこう、なんてゆう、なにを見てから

そう判断に至るがやろうと思う。






これが、本来のカラクリの正体やけん



人は自分で考えて自分で判断して自分で生きるべき。



神様じゃなくていい


ここは信じてこうしよう

ここはダメだ自分でこうしよう



ということを、ちゃんとせないかん。




ここで言いよるろ



うちの本心はここまで感覚が違うと


本心はええ時には人を生かす事をゆうけど、全部が全部人の生命を中心に言う存在ではない。



やけん人が判断せないかん。




まるっと信じてまるっとゆう事を聞かんがで。

ちゃんとせないかん。

自分で立たんと、この先もずーーと先導者がおらんと立てんまんま、国は潰れて終わるで。

それは、自分の人生でちゃんとやること。

国の為にとかではない、まず自分の事でちゃんとすること。





やけんそれが丁度に教えれるのが



袴をきて髪が長く刀を持った男の私を見つけた時の言う事が、人にとって丁度の事ながやけどね。



これは本心ではなく自分自身ながやけど。めっちゃ人としてがハードやけどね。

人が生き残ろる事をするし、言うで。



まー、特殊やし静かなけんほぼ出て来んろうけど。



うちはね、本来なら大神よりも本心よりも生きていて肉体を持つ間だけはこれらの上に、仕組み的にはあって統一しちょるがよ。

やけど、沈黙の人やけんあまり人には見えんがよねー。



やけん本心と大神とその下全部を統括している人格ってのが本当は一つだけある。

でも皆恐くてよう寄り付かん。

素の時やけんうちもわからんしねー。

神様でさえ恐い恐いというてよう寄り付いてないもんね。人が寄り付けるわけがない。






ここらの仕組みの事情がね

神様にお身体を貸しているととるのか

自分が神だというのかの

人が間違う部分でもある。



神が乗っていても、それをこの世に出せるのは肉体ありきの肉体の人間で世界に対してならこの部分では神より伝える人間がここは優位となる。



しかし、神が言う事を肉体側の人間がどれ程理解し、それを自分のものとできるかの器が肉体側の精神にあるか。



やけん、器と桶と肉体と魂と霊体の質



全部が揃わんと、なかなか自分が神であるということは言えんわけよ。

言うても、死んだらほんまの自分の魂の立場になるけんね。



そんなもんが数百年に一人現れるわけないやん。



3000年に一人とかかねー。



ここまでこのブログ一つの因果を携えてやっと、ってところやけん



幾千年もかかるわけよ。条件が揃うにねー。