ドラゴンボールもわかりやすい | 『真理と道理・人と神』

『真理と道理・人と神』

あの世とこの世のことから人の心や魂や家系の先祖、そこからの道理と常識の大切さを書いています
また先祖や神からの気付きや言いたいこと乗せてます

ドラゴンボールの神対神というやつの映画ではなく、普通のアニメバージョンでみよったがやけど、なんか勉強になるな~と思う


『道理じゃろう』
と、言われて
人には道理で接しなさいと袴を着たものにずーと言われてきた


その道理とは、なんなのか
正しい事ばかりを行っていると
人によりけり、道理とした対応ではないと言われる


それをアニメで教わったような気がした


ブィルス様というキャラの観る目、行いとは、神様というものが人にする行いそのもの


目には目を、歯には歯を
そうゆう運の中で小さい頃から生きてきたもんの
うちは前に協力しよるのにそんな人から悪口を言われたがやけど言い返さんかったがよね
それってね、悪口言い返した後の反動が恐かったけんなが。
言い返したら悪口というもんはそこで止まったがやろうけど、言い返さんけん心を出さんというて嫌われてますます言われよったね
うちらの性質は、返ってくるけんね
普通の人と同じことしても後が違うがよ。


神様や神霊には、その人にはこれ以上をもってしてはいけない
その人にはこれくらいではいけない
という事を、仕損じた時には言われてきた。


それはその人物の思いの質と量に合ったモノと同じ程度のモノを出しなさい
それが人と関わる時の道理だと。


『それでは強すぎる』『それは厳しい』『それは冷たい』『お前は性格が冷たいからな』『それは言い過ぎ』『甘やかしすぎです』『甘いのよ』『それはひねくれ』『この人には強すぎるの』『わからないのだから理解してください』『あなたはわかっても人はわからないのです』『怒らないでください』『世間を知らん』『無視せよ』『ほたくっておけ』


散々この三年間、人に合わすということをさせられてきた
その為に健康をとられてね。


けど、未だにどういうことかわからんかった


一般的にはどんな人にも一定の礼儀はいるじゃないかと
やけんその姿勢を崩さんというたら
それは身勝手で自分を貫きすぎていると
あなたのいうそれがいくら正しくても、それを渡すべき人ではないものにその心と行動を出すのは、ただのあなたの身勝手と意地とワガママですと
言われた。


軽いもんには軽く、真剣なものには真剣に、明るいものには明るく、けちなものには関わらず、ひねくれたものはほおっておき、道理をもつものには道理を持てと。


神様というものに関わる時には、道理がいる。


道理こそ、同じ次元を共有し意識が同じくなる一つの道なが。


一番バチの当たるに簡単な人間というのは
『無神経』
これだけは、簡単に神気に触れてくれるわ


悪意やひがみや嫉みは、人間のサガでもあるために、多少のことなら多目に見てくれるし、先祖の方が無視をするし、そのためにバチが当たるには時間がある


仕方がないことをわかっているからな。


理屈+無神経というものは、本気で逆鱗に触れる簡単な方ながよね


思考の現実はね
ある意味、無神経になればなんでも起こるよ


人や建物を愛している本心がおらなければ、人の命や自然界や国の成り立ちというものの尊さや、価値や意義を考えて守ろうという気すら消え失せる


無礼な事が起こるのは、無神経からであり、そのアホさ加減により人に起こる事が違う


国もそう。


人の立場からいう無神経の状態とは、国土の本体である自然界の意識に繋がるねえ


地震は地震に繋がる気がある
それは人間的な肉体機能で発する気とは少し違うのだけどね
人間的な意識ではないというのは、無神経という表現にもできろう


気を抜いたら、人である肉体の気とは違うものが出てくる
本当に怒ったら赤じゃなく青になるし、上にではなく下に降りるもんでね
そうなる理屈は私は知らん


これは、危険なもので、それが出んようにするために、神も神霊も精霊も精神に影響して安定を保ってくれている


のに


散々な事があれば、守っていてもこちらが経験不足だとブレて揺れてしまうから、結構叩かれて視野を広げさせてもろうたわ


こんなにストレスのかかったことは、初めてやったね。


『やらないかん!』と本心に言われてようようやったけど、やっと12月で厄も終わる。


体験したことがないことをした三年間やった。


 
まあ、別の視点からみたら
この世って本当に、面白いわ


明日も雨かあ~(  ̄△ ̄)