自由というのは常識を踏まえての事よ | 『真理と道理・人と神』

『真理と道理・人と神』

あの世とこの世のことから人の心や魂や家系の先祖、そこからの道理と常識の大切さを書いています
また先祖や神からの気付きや言いたいこと乗せてます

表現の自由というのは、結局常識範囲内のことを踏まえての自由ということよ


この事は、例えば人の事に対して書く事について言いよるがよね。



芸術的というのは表現の自由もあるがやけんなんでも書いてもかまんし、それが芸術であるというがやろうけど


それは、例えばゴミの再利用への呼び掛けや環境破壊への呼び掛けなら芸術的爆発もええかもしれんね


やけど、国の問題や人の問題というのは、複雑に絡み合っていて、「こうだ!」ということは言えんのよ

やけんゆうべきことでも、断言するべきことではなくてね


そこに触れるということは、かなり慎重に発信せないかんし
そこに対して表現の自由というなら、人の事と世の中には常識というものがあるがやけん、ただの表現の自由だけがボーンときたらいかんのよね。



やっぱ人ってもんは、何かを発信する時に他人の事を言うのなら、そこに芸術的だけを持ってきたらいかんのよね~



芸術的で表現の自由があるのだからというのなら、それは人を人としてというより物として表現しよるがと同じやけんね




まあ、人がいろんな多様化な側面から見れる為の表現とするのが芸術なら


芸術と見せる前に、人権の所に目がいって効果を発揮するまでに至らんということよね。


そういう芸術が芸術として素直に発展せんものというのが、国や人の事を取り上げた時ながよね。