正常な欲の動きは希望にあり | 『真理と道理・人と神』

『真理と道理・人と神』

あの世とこの世のことから人の心や魂や家系の先祖、そこからの道理と常識の大切さを書いています
また先祖や神からの気付きや言いたいこと乗せてます

欲というものはなくなるもんやないけん消さんでかまんと私は思うちょる。


ま~人生で失敗するというたら
欲というものが引き金となって起こるがやろうけど
けんど、欲がないと技術も開発せんしねえ



ただ、問題はその欲の発症源やろう


欲というものは正常な希望があって持つ時には正しい働きをする


人のためにその力を使うろう


人が人たらしめる希望とは、人の命がみなぎる中に繁栄することやと思うけんね。


その為に欲を使えば大義を成すだろう


自分一人が全てを持とうとするより、富を持つ人の中に自分が在ることを、最高位とするだろうよ。
所詮自分一人が生涯で持てる富など決まっている
地球一つ分買う金すら持てないだろう


しかしながら、それゆう考えは衣食住がバランスよく整っている中で正しく培われるものではないろうかね
また国の大きさ、自然の割合、繁栄の上がり方、そこの民族の生き方、それぞれのバランスともいえる。



人間世界は、社会が発展しすぎた高光とした中におっても幸せではないがやろう
便利であるにはそれなりに人間が働かないかん
国の利益を生むには権力者程人の欲の渦巻く大きい銀河の沼池に足をつっこまないかん


中々身一つで利益を生む作業の欲を働かせるとこと、人を考える良心を働かせるとことの機能を保つことは難儀な。


しかし損得で判断するなら人の命がどうであれ、難を要せず、いとう必要もないろう


しかしそれをしていたら、この世に希望などという綺麗事などかき消されていく。
所詮人間というのは決められた損得に生き、それに乗れなければ死んでいくと。
人ではなく動物に見えた時、自分の中の希望は幻滅と諦めとこの世の飽きにとらわれるがやろうね。


そうなれば、在る意味表面ではこの世を見切った錯覚になるわえ。


まあ、こんな話しは一昔前の古い思想かもしれんがな。



それでも、今まだ争いがあるのは
確かに利益重視の者もおるかもしれんし、それと同じくこの世に希望がないものの織り成す現れやなかろうかね。



それぞれの国は資源が決まっているから、開発も差が出てくるし、そこから貧困が出てくる
それは仕方のないことで、なぜ相い合わん価値観があるのかも、それは結局誰のせいでもない
土地一つで生活が変わるのだから、価値観など同じになることはない。


やけん、発展している国は遅れている国を繁栄する助けがいる
でも私は少なからずその現象はあると見ちょる
多少の金は発生してもね。



貧困の差はあり価値観の違いはあるにしても、それは誰のせいでもないなければ、悪いことでもない。


悪いことは、それがあることで争いやトラブルがあるなら、どうすればよいかと考えることもなく、自分に見えたモノだけのせいにする事やと思うで。


それに運命や宿命に逃げる必要もない。


同じレベルになることでわかり合えるのかというたら、そうでもない
逆にぶつかる。


同レベルなら意見が通る
相手より上なら意見が通る
下ならそれを言い訳にすれば意見が通る


これらは損得において可能になる状況はあるろう



しかしながら、どうであれ、その立場からどうしたらと考える者同士が集まり集う事が、本当の世界の発展になるろう。


答えじゃない、模作と納得と結果の繰り返しで『永劫に未來は続く』



それでも希望がなければ、考える事もできないのが、人の仕組みであるからな。


やけん的確な対策は人それぞれが見出だす仕事やけど
希望は国境を超えても平等やけん、明るく前向きは全世界に繋がる一つの事よねヾ(@゜▽゜@)ノ






今日はデモがあったらしいね
私がイライラするのは、きちんと自分の国の事を考えているのかと思うがよね
どうながやろう?と

外国から何かされたら国会が何かしてくれると、見るだけながか
それとも根性をみせて意見を主張するようなことをするのか。


今の年よりらになにができると思う
老い先短いものがでしゃばったところで

若者が自分等で主張せないかんがよ。



外国の現状は悲劇ではなく悲惨である
破壊的で暴力的なものも現実よ


それを残酷というがよ。



平和ボケされて殺されるようでは、いかんねえ。








360度正しい正論を言うたとして、その根拠である心の中の理由によっては、その正論は切り裁かれる事があるのを忘れるな