神道は正直難しい
自然崇拝の事をいいよるがやけど、内容といえば、神界の神の事情ばかりよ
歴史も隠れちょるがやけど、たまたまにして霊界や神界のことばかりやね。
神様の事ばっかりやんか
これは呪術専門であるとうちは捉えれるわ
まあ、もっと神道をまじないに専門的にコネタのは陰陽道やろう
こういうものはほぼ人間寄りではないわ
それが物凄い人間界を味わってガチで人間をして悟って人を救う為にあの世ではなくこの世側として教えてくれたのが、釈迦やキリストよ
いうてみたらこの二人は神というものが、人間の命すら災害でとるとしたら、それをなんとか許して殺さんようにしてくれと頭下げて頼んだのがキリストやし、罪を積んで不幸にて神様に終わらされんようにするにはコレコレを守りなさいと人の道を言うたのは釈迦やったわ。
神道はね、政治を動かしたり国を動かしたりする運を扱うにはどうしてもいるがよ
やけど、仏教やキリストはそれとは線が違うがよね
仏教やキリストは政治や国の運気に触るのではなく、そこに生きる人間に触れて人間が改心することで国が変わる動きになる
ただ、仏教やキリストは数と時間がいる
しかし神道は数も時間もいらん。
そのかわり、病院でいうたら前者は対症療法にして、後者は抗がん剤治療のようなもんよ。
国や政治のことなら神道へ
一般的な日常のことなら仏教やキリストへ
ということながよね。
使い方としたらね。
神道とは自然崇拝で人間が何もない空間に自然に手を合わせてお日様に拝む事そのものやけん、日本ってこれが神道そのものながよねー
やけどこの自然崇拝は範囲が曖昧になるわ
だって、その人が真実と澄んだ心の目で見て思うたモノが真実とするがやけん
何に見いだすかは個人で違うけんねー
理屈がないがよね。
やけん仏教だ!キリストだ!っていうてもそれすら神道のゆうところの範囲なわけで、日本人が拒否するわけでもなく
日本人は外国からしたら宗教がなくて奇妙で気持ちが悪いと言われる事があるらしいけど、なんでも信じてなんでも受け入れるけど、それらを混合して新たな形に変えることができるがよ。
やけん本間もんってもしおったら気付かんし理解ができんし、わけがわからんけん素通りで終わる。
時代時代にものすごい魂降りてきちょるけど、誰にも気づかれんまんま死んだ。
いっぱいおる。
えらい魂程誰も気付かん。
でも、それでええがやろう。
やけん本当は『真理などない』
うちらには必要はない
所詮これを使って生きる事はせんのだから。
ただ、人に必要やけん言うだけのことであって
人の魂の人格って真理越えちょるけん、ほんまに好きにポヨポヨ生きるで
その人格は自我とは違うがやけどね
自我は先祖の性格がプラスされるけんこだわりを持つけんね。
神道も仏教もキリストも次元が違うということよ
ただ釈迦やキリストは同じ次元の最高の悟りを持っていたけど、どの次元の人たちに向いて喋ったかで、次元が別れる
しゃべり方や言い回しで真理は次元を変えれるがよ
どの問題をどう述べるかでパッパッパと次元は変わるしねえ
神とは人を救うものだということが真実の次元
神とは畏れる存在でさわってはいけないというのも真実の次元
本当に次元によってそこにおる神の姿や力が違うけん、何が真実になるかは、その時の状況によるがよ。
やけん外れというものがないわね。
ただその内容は、人間にとって得ではなく命を懸けた不利益になることも知っておけよ。