気とエネルギーは違う | 『真理と道理・人と神』

『真理と道理・人と神』

あの世とこの世のことから人の心や魂や家系の先祖、そこからの道理と常識の大切さを書いています
また先祖や神からの気付きや言いたいこと乗せてます

向こうのブログで真理を書いたら、向こうに全部気が乗ってしもうて、こっちに書く気が失せる。というのは今日のはFacebookの描写ながこの内容。

いっつもこっちに書いてFacebookにまた書くけんね。
本当は逆やったがやけど、Facebookではごついこと書けんけん(笑)
しかもこのブログをコピーしてFacebookに貼ったら妙な英語が入るけん、向こうに同じ内容は書かん。


ブログ3つ書いたら3時間かかるけん、仕事柄終わって戻ったら時間これに潰れる(゜▽゜*)

アメーバ書いてFacebook書いてアメーバ書いて、ま、気分やけど





けど気が失せたら言葉が降りんけん内容も書けんわ



ん~
人間ね、自我はなくせんのよ
瞑想とかで無くして、高い次元を体感し真理を悟るという事を宗教はしよるけど、そんなしよいもんじゃない。
自我をなくすとは五感をなくす事になるけん、生きていてもリアル感が消え失せて肉体あるのに、死んだ人になってしまうぜ。
瞑想もしすぎて霊感までもつなら、必ずこの世にちゃんと生きて日常で負荷を掛けておらんと、感覚と感情がズレてくる。



そんなことより、人生思いっきりやりきって、霊とか神様とかわからんけど、それなりの人生から真理を悟っていった方が無難なぞ。



要は滝に打たれる修行より、多種多様な日常で一生懸命生きる修行の方が価値がある。



因みに、幸福になるためや不幸が起きん為や、病気を深刻にさせんためには、定義があってな。



人間、とあるエネルギーを内在より引っ張る事ができんなったら、病や事故や不和が起きる



そのエネルギーは本心で生きる事で常に流れておるものなのだけど、社会で生きたら本心で生きることは不可能に近い。
そこからストレスが溜まる。
ストレスというのは違う言い方をすれば、思考の磁気であってね
磁気のことだから、溜まるというのよ。



その思考とは自我の磁気なわけよ
自我の磁気と、魂のエネルギーの二つの違う物が人間には流れ入っていてね
やけんこそ、内面は悪と善の2つの気を持って葛藤まで生じるのよ。
元々肉体生かす仕組みのエネルギーがこれなもんで、そのせいで悪人だけ、善人だけという人間はいないのだけどね。


それをスピリチュアルや宗教は自我を無くす事で、根源である魂のエネルギーだけを残そうとしよるがね。



魂のエネルギーは元々普段流れよるけん心臓の電気が発生しよるがやけど、そのエネルギーを阻害するのが自我の意識でできる気ながね。


自我から発生する磁気は、不満不服不平愚痴、優越、世間体、プライドといった内容よお。
やけんこれが極まったら不整脈や自律神経や精神をいかんならせるわえ。


で、病気とは魂のエネルギーが自我の磁気に押されて少量になることで起こる。


自我は必ず消せん、やけんこそ、自我を無くす事ではなく魂のエネルギーを強くする事をせないかん。


お祓いとはね、自我の磁気を溜めずに流す事なが。
それはね、自分でできるのよ。




思考と言霊を使えばね



天照大神様
日の神様
月の神様
〇〇家ご先祖様


今日も生かして頂いてありがとうございます


と寝る前に布団の中で想うたらええ。


朝は今日もよろしくお願いいたします。




この言葉の順番はね、あの世の配列ながよ
人間の身体が心臓が動き肺で酸素を交換し、全身に血液を送る一つの循環の決まりがあって人間一人生きとるだろ。



この言葉の配列は心臓が肺に血液を送り酸素交換が行われ全身に血液が送られる流れと同じであるわ



家系の先祖は神に守られ生かされておるし、神は更に大きい親神に生かされている流れがあの世にある
その世界の写し絵がこの肉体一つに集約されて出来上がっているのよ。
人間の身体はあの世が物質化して一つになったもの、内蔵の位置も役割もあの世の部分部分が映し出ておる



やけんこそ、私は病気が起こった時に、そこの内蔵のできた元である霊界にいって霊を上げよる。
あの世でやったことはこの世の現象に現れるけんね。
所詮、病気も気の流れで起こるし、経済も国も人間の争いも、全てはそこのエネルギーの流れと質の問題よお。


やけん私は思考一つで何とでもなると言いよる。
ちゃんとこっちに見えちょる神界や霊界の程度や力や内容により喋りよることよ。



人間に不幸が起こるときには真理を外す必要がある
つまり人の道を外してやれば不幸は訪れる決まり事がある。



それは欲求に生きる自我にしかできん
なら、道を外す事ができん良心や意識を強めるには、そのエネルギーを多く大きく強く引けば良い。



ということは、そのまんまあの世の配列である最上位の神を言霊に変えて唱えればよい。
言霊とは、エネルギーを物質である音に変換したものだからな。
やけん言葉には力が在る。


しかしね、これは本当の最後の手段にしておらんと、その力は使えんかもしれんな。
日頃はそんなに不幸もなけらにゃ、わざわざ心から神にはすがらんだろうしな。


病気になってよお、薬で身体を弱らせて死んだら意味がないがよ
治す気がなかったら薬もさほどきかんしね。
薬に耐えるだけのエネルギーがあってこそ、重い病気を治る治療に耐えて治るがやけど、そのエネルギーがなかったら誰でも短命になるけん。




真理はね、いろんな使い方があるがよ。


寿命を伸ばす使い方
お祓いに使うやり方
幸福をもたらすもの
不幸をのけるもの
命を与えるもの
命を消すもの


どうにでも料理できる。


実際の料理はうち、できんけどね。


これこそが、神社で願いが叶う正体であり、神の本質とやり方ながやけど。




さて、これをどこまで咀嚼できるかにもより。