その日その時 | 『真理と道理・人と神』

『真理と道理・人と神』

あの世とこの世のことから人の心や魂や家系の先祖、そこからの道理と常識の大切さを書いています
また先祖や神からの気付きや言いたいこと乗せてます

どうだろうね
今日は人と話して思うたのは



先の事を悩んでも仕方がないというのは、一つの人生を大きく見たときの悟りじゃないかと思う




先を悩んでも仕方がないけん、あんまり考えんくて、その時その時を見ると言う人がおった



メッチャユーモアあって明るくてね
面白くて愛情あってね、やけど自由人ながって(笑)


でも人生いろんな困難あったらしくてね




その中でそう思ったんじゃないかなー






未来は変えれるよ。




怠慢に生きたらそれなりの結果
やけど頑張って生きたらそれなりの結果



怠慢から受けとる結果かあるなら、頑張ればええ



その日を一生懸命生きる事よ。






うちらー職業柄、認知機能低下した人を専門にあづかって世話しよるがやけど、怪我する確率チョー高いがよなー
人を怪我させたらいかんけん1日何もなく終わるのホッとする
そればあ怪我せんように見よらんといかんがよね。



正直、必至よ。





でもね、事故っておこるがよ。




やけど、やることやり尽くした後の事故は仕方ないと受け入れるがね。



でも、やれるのにやってなかった事で起こる事故は中々受け入れれん。
頑張ってない上での事故は自分がようわかっちょる。




人生って、これと同じながよ。







別に私は不幸が来ることが不幸とは思わんがよ。



その時に、その不幸がきても散々今までやってきたけん、これで苦しむ気はない。って中の自分が判断したら


その次点でそれに執着せんけん不幸と言われるそれは、うちにとったら不幸の定義をもたさんけん(もたさないから)不幸じゃないわけよ。



なぜこうなったかとか、なんでこんな目にとか、散々やってきた上の不幸なら、頑張った自分に納得しちょるけん(しているから)、悩まん。


不幸自体が眼中にないね。
病気したら痛みが邪魔なだけやけど。
それに耐えてもなんでとかどうしてとか、ゼンゼン思わん。ただ飯食いたいとか風呂入ってないとか、遊べんとか思うだけ。







不幸がきたときに、それを不幸だと自分を思う事を不幸に思うし
それに立ち向かう勢いを無理にもつ自分をも不憫に思う
ただ、立ち向かうのが子供の為に生きるとか、誰かの為に自分を生かす時には、それは真のエネルギーを内在から引き出し生命を長らくこの世に置くろう。









さすがに、人に腹立てる時にも、ただではたてん。

やるだけやって相手に合わしてから、相手の我を受け入れているのにも関わらず向こうが我を出して殺ってきたら、これはもう許さんというレベルになる。


個人的に頭にくるね。









病気になったら気では補えんから、気ではなくエネルギーを引くようにせないかん。




気と、エネルギーは違う。



霊と魂も、違う。







磁気が違うがよ。







ええか。




天照大神様(アマテラスおおみかみ さま)

日の神様

月の神様

〇〇家のご先祖様(自分の名字の家系)


今日も生かして頂いてありがとうございます。




と、寝る前に心で礼儀で思うたらええ。



朝は、今日もよろしくお願いいたしますと。




本当は朝晩心で言う方がええ。




寝たままでもかまん。




しかしこの順序は乱したらいかん。



この順序はあの世の縦の並び。

秩序であり、エネルギーの流れる方向であるわ。



心臓は肺に血液を送り酸素の交換をして全身に血液を送る流れの決まりが身体にはあって、その順序通に循環してこそ生きておるだろう


エネルギーの流れは上記の通りの言霊と思念の配列がいるんじゃ。


思考するにもエネルギーを引く順番がある。




……言霊の組み合わせでエネルギーが引けるかどうかの違いがあるがよ。





やけん、声に出さんでも心で言うたらええぞ。





病気を治すには、気ではなくエネルギーじゃないと治らんがやけん。







こんなことを思うただけで治るのか?


治すのは薬よ


やけどその薬に耐えるエネルギーが身体にないといかんやろ。



薬に負けて弱って余計病気が進むようではいかんのよ。



治る気のないもんは、高い薬を使っても効き目はさほどないけんね。




その根本的な事を言いよるがよ。