私も最近知ったのだけれど、人には先祖と神仏とに霊的な紐である霊線っていうのが繋がってんのだけどね
家系の霊線は二本で一本やったよー
1つは神仏へ1つは先祖へってとこやったね
神社の札や御守りは神社からの霊線を繋いでいるらしくってね
いうなれば電話の本体が神社でコキが札ながよね
神社に毎日行けんから家に札置いて拝んだらその霊線伝って神様に届くし、その経路で力をかけられ守られとる
この霊線は1年したら消えるらしくって札は1年きたら新しいのに取り換えるのがええと言われよる
御札は御焚き上げして溜まった穢れを禊いだ方がええらしい
火は浄化するけんね
火と水の洗礼と言われる程に
御守りとかは、宗教でいうたらおみたまの変わりながよねー
やけど思うに、うちらーみたいに幸不幸をわかって自在に呼んで被りよる人物って神社の神は手出しできんわねえ
その神社より上の神がついていたら御札は守りとしては意味がないと思う
それよりも上のモノに守られよるがやけん
やけど地域に住まわしてもらいよる"感謝"は必要よお
感謝の磁気を土地神に渡すことは地震の軽減や、豊作などに繋がり、自分を守るというより、土地の繁栄を意味するわねえ
それに自分ちの先祖も生前は守られてきたのだからそこも考えておらんと
うちらーは話すものだから、わけのわからない何か?という捉え方は神においてはしてない
常に上下関係はあっても人間関係のような和が在る
身内みたいなもんかね
魂の位により御守りの守られる力はどう出るか人により異なるが、普通の人間であるかぎり持っていて損はないだろうよ
まぁ、しかし先祖の守護もあるし、その上に土地神がおるのだから、御守り必要ないような気がするね
まぁ、罪汚れを肩代わりしてくれたり軽減はしてくれるろうから、災難は軽くでるわねえ
話はとんで
私も真光崇教の勉強会を受けておみたまを持てって言われるがやけど
そんな問題やないがよねー、そのおみたまの出所の仏を内在神としてつけて生きながらこんなことになっておるのに
説明してもわからんわね、おみたまは因果の根底の解消はしてくれん
そんなものを持たんと救われんのならうちが話す神は皆偽物やろうね。
そういう意味で黙っていてほしいのだがね。
生きる上で光の浄化や神からの許しというのは根源の因果の解消てはない
そんなことをしたら因果にて存在しておる魂は消滅に至る
浄化してもらっているのは因果の呼んだ邪霊共の排除よ
そうすりゃあ自我は薄らぎマインドは弱まる
思い込みや我欲の軽減をさせるのよ
段階が有る限り私はむやみやたらに手かざしなどということをせん
仕組みがおるならあの世にもある
それに霊感あって意志一つで浄化できる、人間ではなく霊に教えられよりもするわえ
ザコに用はない
ザコを操る本体に用がある
人間の魂が上に上がれん仕組みの根源の大本に用事があるがよ
やけん宗教はそれはそれでやったらええがよ、霊道がでてなんちゃらーって言いよるけど、生きた人間の魂と肉体犠牲にして負荷かけて表に出さんでも、こちらがあの世の霊の元に行けば良いだけの話しだろうが
見えるものを強く信じ込むのは確実で間違いないだろうが、私はどーでもよい
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