昔は、昔というかつい最近二、三年前まではうちには後ろがなかった
どうしても護るものがあったけん下がれんかった
それは子であったし自分であったし願いであったし希望であったし命であった
やけん立ちはだかるしかできんかって、やるか・やらんかという選択とかなくて、やるしかなかった。
周りにはわからんものをずーと守って
諦めたフリを何回もして自分を慰めながらきたね
思うがよ
どこからが幸せなのかと
不幸がないと本気の幸せってわからんもんぜ
貧乏てどっからが貧乏なが?
金持ちってどっからが金持ちなが?
そんなもん、貧乏なほど金持ちという基準は変わるわね
後ろがない生き方は大事ながぜ
ある人が書いておったわ
貧乏の底におるなら、あとは金持ちになるだけなのです。と
自分を満足させれるものは最高の下座、いや、不幸そのものよ
不幸であらば後は幸せへと昇るだけやろう
苦は楽を現すためにある
日常の一瞬の平和が、つまらんかったね
常に戦いよったこちらとしたら
日常の平和の中では自分の存在が何かわからんかった
なんと人間とはあやふやな生き物かと思うたわ
あら?こんなことを言いたいわけやない
あら?何が言いたかったけ!?