正論が正しいからと事は動かんよ | 『真理と道理・人と神』

『真理と道理・人と神』

あの世とこの世のことから人の心や魂や家系の先祖、そこからの道理と常識の大切さを書いています
また先祖や神からの気付きや言いたいこと乗せてます

いくら正論が正しかろうとそれだけで事が動くのならば誰も苦労はせんわ

正論の頂点を極めたところで
人間は機械じゃない
心がある


何回も言う
カリスマ性があれば悪すら善と言わすことができると

まっやらさんがね
9回の裏をなめるなよ


政治やちそうやろう?
正しいことを口で述べても通らんじゃないか
あーだこうだと不正論に負ける


正論はなくてはならん

かというて論理的思考の発生する前にその人の信頼度が大きく関係する

その度合いで正論が通るのか不正論でも通るのかとなってしまう

今の社会は利益があるかないかで正論はお飾りのタテマエにして今だけを考え判断する


今を見れん人間が多い中でそこだけは今を見たもんよ

国民は国を立ち直らすため政治家を信頼するかせんかで決めるが、あやつらの間では利益にてどう動くかが善悪を無視して飛び交っておる


やけんもう度を越してシステムでとか駆け引きでとかではよう止まらんなっとるわやりすぎて(笑)



やけんこそ
災害と精神世界が必要なのよ


ありゃ、話したいことそれた
ま、えっか



政治まで言うてしもうたら神界をのべないかんなるが


一般的な人間関係や特に恋人や夫婦間では正論や口論主張ばかりが大事ではない、ねぎらうことでどれ程事が都合よく負担なく上手いこと運ぶかと言いたい

答えが欲しいわけではない時もある
そんな時は理由が正しいという問題を重視するによばん
正論をぶちかましても相手の判断をねじ曲げることもあり

あんね、相手が求めちょること取り違えて正論ゆって動けんようにしたら、破滅するがで


思いやりが無くなった時に幸せなんぞ生じるものではない


いつも人は幸せになりたいと願う

でも人に幸せを与えずして、人に幸せにしてもらいたいお前たちはどこに幸せがくるというのか

ただでくるものなどこの世にありゃあせん

いつもお前たちは家系の徳と己がもつ徳にて守られておる


与えなければ返ってはこない
与えなければ与えられないと自分に帰ってくるのだよ


自分が放ったものと同じものが時間と形を変え人生で返ってくる


人の噂話は自分の噂話となり
他人の暴露話しは自分の暴露話しへ繋がり
人の嫌味は自分の嫌味となり


人の助けは自分の助けとなり
思いやりすら返ってくる


思いやりは時間をかけ金になるかもしれん
はたまた権力と変わるか

大きな金は幾千の愛となり己の心に帰るやもわからん


それは個人の人生計画により徳は姿形を変える


貧乏で人生やりきり学ぶと計画したものには、揺るぎない愛と変えてその身を守ろう

豪快にいきる計画を持ち生きるならば徳は金にかえてやろう



見えん存在はその者の魂の目的により反射率と最善のタイミングを整え、目的を謳歌するに必要なものを渡している




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