良心は可能性を秘めている | 『真理と道理・人と神』

『真理と道理・人と神』

あの世とこの世のことから人の心や魂や家系の先祖、そこからの道理と常識の大切さを書いています
また先祖や神からの気付きや言いたいこと乗せてます

心は可能性を秘めておるのよ

人は憧れは可能性を秘めているというかのう

良い大学でているだの、国家資格もっておるだのお家柄がよろしいなどということが何か可能性を秘めているのかといえば、それ事態に価値はありはしない


それに価値を持たせ利用する知能が人間の内面性になければ

しかし知能があったぐらいでは信頼関係や情を使いこなすことなどできはすまい

知能とは駆け引きの計算になる
その駆け引きの計算が上手いこと答えを出すように持っていくのが、人の良心や思いやり心使い気配りである

人間の知恵ごときで物事が上手くながれるなどありはしない

それを上手く流すには人がわかってしかたないのうと乗ってくれている部分もある

自分の思惑に乗らすにも信頼関係がいるのだ

私はそんな時間ないけんできんけど普通はそうなのよ


これが信頼関係ぶち壊した時は、情も何もあったもんじゃない
小さき事でも首を立てにふってくれなくなるし、そこで裏の裏切りが発生する

国会をみてみよ

これが崩れたためにぁあなっとる


誰か一人が利益を掴もうとしたとき、そこには横の配列ではなく縦の配列ができる

縦の配列が許されるのは精神という心から納得した時のみ可能であるが
今は数字の計算と世のシステムを逆手にとり無理に従わす形であろう


だからまとまらんのよ
道理になっとらん

道理と秩序を壊して成り立つものなどない


良い就職や良い学校良いお家柄であったとしても馬鹿になって遊ぶだけでは事足りん

内面性を磨かなければ

可能性というのは世の価値で現れるかといえば使えなくては意味がない

人の心を学ぶのならば人類全てが自分と繋がり様々な可能性をわれらに見せるだろう


勉学だけじゃあいかんのだよ


勉強ができなくても良心があれば国や歳や人種や文化関係なしに関われるからね

勉学だけで見てしまうと限界があるから気をつけなさい




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