「……フフフッ。」
「え、えっと……。どうされました……?」
食事を終えて、食後の白湯を差し出した香蘭に、雨帖の母だと名乗る女性は優しい笑顔を浮かべる。
強引で明るくて…でも、どこか物腰の柔らかい、女性。
雨帖の母と言われてしまえば、確かに笑顔が雨帖の微笑みと重なって見える。
「あの子が好きになる女の子って、どんな子か想像できなかったけれど……フフッ、さすが私の息子よねぇ。いい目をしているわ。」
「っ!?あ、あの…っ!!えっと、お妃さまは……!!」
「あらやだ。琉璃って呼んで?」
「えっ!!で、でも……!!」
「もしくはお母様でもいいけれど?」
「る、琉璃様!!」
「も~~…。ちょっとは迷ってくれていいのに。」
「香蘭ちゃん、面白くないわ。」とふくれっ面をした美女を、香蘭は真っ赤になったまま睨みつけた。
「あ、ごめんなさい。お話の途中ね。はい、どうぞ?」
「る、琉璃様は、その……。う、雨帖様の、提案を……。」
「えぇ。知っているわ。だからアポなしで申し訳ないと思ったけれど、あなたを説得しに来たの。あの子ったら、武人としては頭がキレるけれど、どこか抜けているからね。女性の扱いなんて、良く分かっていないだろうし。その点が父親と全っ然違うんだから。」
「父親……?」
「あぁ、雨帖の父親で、一応私の夫。」
と言う事は、陽の国の王である。
「一夫多妻の国だから。顔はまぁまぁ整っているし、大変おモテになる男なのよ。ま、王様だし?絶対の権力者だものね。国を歩けば、キャーキャー黄色い声で叫ばれていたわ。」
眉間に皺を寄せながら言うその女性は…夫である男を蔑むかのような表情をしている。
「あ、あの……。琉璃様は、王様がお嫌いなんですか……?」
「そうね。嫌いね。大体、女には貞淑を求めて、自分は女を抱き放題って考えが信じられないのよ。この国もそうなんでしょ?全く、男って生き物はクソミソよね。」
心底嫌そうな顔をしている琉璃。その姿に、香蘭は茫然とする。
『妃』という存在は、誰もが憧れているものだと思っていた。志季のお見合いを何度か見させてもらったけれど、あの場にいたくないと思っている少女たちなんて1人もいなかった。
それなのに、その座を望まない人がいるということに純粋な驚きを感じる。
「私はね、陽の国で立派な料理人になるつもりだったのよ。で、王宮料理人になるために下働きをしていたら、なぜか王様に目をつけられて。いきなり後宮に引きずり込まれたの。」
「…………。」
「で、孕まされて生まれてきた子が雨帖なの。もうねぇ~~…一時、寵愛がすごかったからって大勢の妃に睨まれて、睨まれて……。命は狙われるし大変だったのよ~~~。」
あっけらかんとした口調で語られる壮絶な過去。
「でもね、それが『王室』っていうものなの。……王が手を振れば、庶民がいきなり妃にさせられることもある。香蘭ちゃんの慕うこの国の帝も、その意志ひとつでたくさんの女性を侍らせることができるし、その1人として香蘭ちゃんを召すことだってできるの。」
「志季はそんなこと……!!」
「しないとは言えないわ。……何の後ろ盾もない人間は、無力なものよ。絶対の権力の前に、ひれ伏すことしかできない。」
目を瞑り、琉璃は過去を振り返るように呟いた。
「私もね。王宮に、とても大切な友人がいたの。」
「え……?」
「大人のくせにものすごい偏食で。意地でも食わせてやろうと思って、料理長の目を盗んでは奴の嫌いなもので料理を作って、食べさせていたものだったわ。」
「…………。」
「人目を忍んでやってくるその男と、ずっと友達でいられるんだと思っていた。でも、気付いたら私は後宮に放り込まれて、その男の嫁の1人にさせられていた。」
……『嫌い』と言ったその口で、愛しそうに話す『友人』のこと……。
王を友と呼ぶ、その関係は、まるで今の香蘭と志季のようだ。
…でも、香蘭は決して志季を嫌ったりなんかしない。
「『守る』と言ってくれたけれど、守れるわけがないのよ。たくさんのしがらみがある身で、よくもしゃあしゃあと言えたものよね。…ま、端っからあんな奴に頼るつもりもなかったけれど。」
「…………。」
「雨帖がいなかった時も、雨帖がお腹の中にいる時も、雨帖が生まれた後でさえ、あの王宮で私の安息の地はなかったわ。もちろん、それは雨帖にとっても同じこと。いくら王位継承権を持たなくても、一応は王の子だからね。」
微笑みながら語る彼女の波乱に満ちた王宮での生活。
多くの豪族の娘たちが住む雅な世界の裏側で、命の危機に震えながら生きていた、王の寵妃。
それは彼女が『平民』ゆえに。