―――叩かれるっ!!―――
襲い来る痛みよりも先に、傷つくかもしれない頬を守るため、頭を差し出した。…うん。頭だったらたんこぶができたって、黒崎監督にもバレにくいわよね?
「………?」
でも、待っている衝撃は、私の頬にも頭にも訪れなかった。変わりに鼻腔をくすぐったのは、とても安心できる、大好きな香りだった。
静まり返った周囲。恐る恐る目を開けて顔を上げた先には。
……黒いオーラを纏った大きな背中があった。
「!?(ヒッ!!)」
「……君たちの言い分は全部聞かせてもらったよ。」
『あぁ~~感じるぅ~~~ここから怒りのオ~~ラがにじみ出ているぅ~~~~!』と大はしゃぎの怨キョ達を慌てて頭に縫い止めて、私は全然怒りを隠す気のない先輩俳優の背中を、息を飲んで見つめていた。
「この業界がそんな甘い世界じゃないことを知らない、というのなら君たちがよほどこの世界の『仕事』をしていない、ということだし、知っていてそれを言ったのなら、監督や社長だけじゃない、俺も含めて侮辱されたことになるね。」
崇拝する大先輩は、とても静かに…でも、容赦なく可哀想なくらい真っ青になった女性達を責めたてていく。
「彼女は君たちのように甘い世界を渡っている子じゃないんだよ。ここまで言ってもわからないというのなら、俺だけじゃなく、監督も、うちの社長も君たちにそれなりの対処をとらせてもらうよ。」
業界に生きる人間として、誰よりも厳しい、尊敬する大先輩。怒りを感じるその背中からは、誰よりも輝く存在としてこの場に立つまでの間に、敦賀さん自身が味わった苦しみや葛藤が感じられた。
……あぁ、でも……
「私は、別に。」
「そんなつもりじゃ…。」
「あ、あんたたち!私だけのせいにするつもり?」
敦賀さんの容赦ない言葉に、私を囲んでいた輪が徐々に広がり、霧散していく。敦賀さんに腕を掴まれている女性は、焦りも顕わに顔を真っ青にしていた。
「君がしていることの答えがこれだ。ほんの少しの過ちが自分の首を絞める。これに懲りたら人を妬み嫉みする前に自分の実力をつける努力をするんだな。」
一人きりになってしまった女性に、とどめとも取れる先輩俳優の突き放した冷たい言葉が降りかかった。その言葉とともに、敦賀さんは掴んでいたその人の手を突き放した。
それが合図でもあるかのように、女性は泣きそうな表情をしながらその場を去って行く。
……あぁ、でも。きっと私も今、泣きそうな顔をしている。……
「…私なら大丈夫でしたのに。」
……そう、私は大丈夫だ。あのくらいの事、自分で対処できるのに。……
振り返って私を見つめる敦賀さんの瞳を見て、私はニッコリと笑ってみせた。
すると、目の前の優しい先輩は、困ったような笑顔を私に向けてくる。
その視線は、『春の日差しのように穏やかな紳士』に相応しい、素敵な笑顔で。
……この先輩が、私ごとき新人タレントのためにイメージを崩す必要もないし、嫌な想いを受ける必要なんて、一切ないのに……
そのことが、悔しい。この現場を見られてしまったことが、泣きたくなるほど悔しかった。
だって。敦賀さんは誰よりも輝いていなければならない人なのに。わざわざ振り返って、私みたいな人間に手を差し伸べることなんか、してはいけない人なのに。