「『羽衣伝説』で言うなら…。天女の羽衣が、俺の前に舞い落ちてきたんですよ。」
「は?」
「でも、その羽衣って、元々は俺の物だったんですよねぇ…。となると、あの羽衣は俺の衣になるのか…?」
「お前、妖精じゃなくて天女になるつもりか?」
「残念ながら女性にはなれませんよねぇ……。」
事務所社長と戯言を言いあいながら、敦賀蓮は私をもう一度見て、にやりと笑ってみせた。…まるで悪戯っ子のように。
「詳細はお答えできません。これだけは、キョーコちゃんに誰よりも先に伝えたいんです。」
「分かりました、それでは深くは追求いたしません。」
「ありがとうございます。」
そもそも、彼の初恋の少女との出会いは、彼の胸の中でそっと息づいてきた大切な思い出だ。共有するならば、京子さんと一番にしたいのが当然というものだ。
「あの時は羽衣をキョーコちゃんに返したんですけれどね。…当時の俺には、他に対処するほどの気持ちのゆとりはなかったので。」
「きっと、あの時点でちゃんと好きだったと思うんですけれど。」と照れたように頬を染める敦賀蓮は、本当に幸せそうに笑う。…今日の彼は、その一挙一動全てが普段のイメージからかけ離れていた。
…敦賀蓮…
年齢より落ちついた、ノーブルで大人の魅力溢れる雰囲気を持ち合わせた男は、穏やかな笑顔をしているものの、感情の起伏はないように見えていた。
だが…。ここまでの会話で分かった。それは彼が作り上げた『俳優』の姿なのだ。
「じゃあ今度は、奪って返さないつもりか?」
「いえ。…一緒に、飛ぼうかと思っています。」
羽衣伝説の多くは、天女に恋した男はその羽衣を隠してしまう。美しい天の女人に恋した数多の男達は、彼女の飛ぶ力を奪ってしまうのだ。
…伝説の中で、一緒に飛ぶことを選択した男は、果たして存在したのだろうか…?
「俺は、我慢強くて一途で何に対しても一生懸命なキョーコちゃんが好きなんです。今、彼女はその持ち前の根性と一途さで、彼女自身を作っているところなんです。…その姿が、一番輝いて見えるから。」
「だから、羽衣は奪えません。」と静かに語る色男。
「…そうですか。」
俳優でもない、ただの1人の男として語る彼。その言葉全てで感じてしまう。京子さんに対する深い愛情と、尊敬の念を。
相手を想い、大事にしようとする心こそが、『愛』なのだろう。
「とかいいながら、お前。とっとと京子を奪う罠を張り巡らせているじゃないか。」
「え!?」
「今度のアカデミー賞で、京子が主演女優賞を取った時点でお前ら、『お付き合い』を始めるんだろう?」
「え、何ですか、それ?」
「それはな…「ちょっ、ちょっと社長!!」黙って聞いてろ!!」
宝田社長が「ふふんっ」と得意げに笑いながら暴露した内容は…敦賀蓮の京子さんに対する執着心と独占欲を感じずにはいられない内容だった。
「だから、こいつとしては今回の一件が受賞前に世の中に広まったらまずいんだ。公開日は終了したといっても、まだアカデミー賞の審査には入っていない。京子は必ずこの件が『主演女優賞』を受賞するほどの話題性を生んだものだって思い込むだろうからな。自分自身の評価を上げるとはとても思えん。」
「なるほど…。今回の内容を伏せることは、それを避ける意味もある、というわけですね…。」
今回の一件を隠すことは、京子さんの成長のためだと思いこんでいた私は甘かった…。トップ俳優の余裕のない対応に心底呆れかえるとともに…。何度目か分からない笑いが、込み上げてきた。
「だって仕方ないでしょう…。もうずっと彼女を想ってきたんですから。今更横から掻っ攫われるなんて許せるはずありません。そんなことになったらそれこそ羽衣を奪ってしまうかも…。」
などと、ブツクサと呟く少年のような青年を見つめる宝田社長の瞳は優しい。…きっと、私も同じような表情をしているだろう。俳優ではない素の彼は今、青春まっただ中なのだ。世間に見せる『大人』な彼とは違う、『少年』のような姿。外見が外見だけに、可愛いとは言えないけれど、絶対憎めないその姿に、笑顔が浮かぶ。
「今日は貴重なお話をありがとうございました。」
「いえ。…それではまた。きっと、遠くない未来に。」
「はい。」
こうして、私と敦賀蓮、宝田社長の秘密の会談は終了した。私は途中から魂が抜けたようになっていた上司を何とか引きずりながらLMEの社長室を後にする。
「さぁてっ!!これから忙しくなるわよ~~!!」
約3ヶ月後に迫った日本アカデミー賞の発表。その日がきっと、二人の微妙な関係が決定的な絆となる日。宝田社長も敦賀蓮も疑わなかったけれど…私も、疑ってなんかいない。その日、日本の女優のトップに輝くのは、羽衣を身に纏った美しい天女。
誰よりも美しく光り輝く彼女を思い浮かべ、私はにっこりと笑った。