「お待たせしました。」
目を瞑り、キョーコに伝える言葉を考えていた蓮の耳に、少女の柔らかな声が聞こえてくる。蓮は、ゆっくりと瞳を開き、キョーコの姿をその目に映した。
「すみません、敦賀さんには子どもっぽいメニューになっちゃいますけれど…。あの、昨日余ったご飯があったから……。」
少し焦ったような声を出しながら、キョーコが蓮の元へ歩み寄る。
その愛しい少女が運んで来たものは……。
「はい、どうぞ。」
ガラスのテーブルに、スプーンと共に置かれたもの。それは、とても綺麗な黄色い木葉型をした食べ物で……
「…え~~と…。今日はこれでも特別なんですよ?美味しそうなエビがあったんで、チキンライスの中にエビが入っているんです。あ、そうだ。ちょっと待っていてくださいね?」
その食べ物が目に入った瞬間、彼女に伝えるはずの言葉は、全て吹っ飛んでしまった。
ドクリ、ドクリとこれまでになく早く、強く刻まれる自分の鼓動の音だけが、やけに耳についた。キョーコが懸命に語る声もどこか遠くで響く音のように感じてしまう。
「ちょっとケチャップが足りなかったんですよね。ケチャップ、お嫌いじゃないですか?」
「……うん……。」
反射的に答えはしたものの、ほぼ無意識な状態だった。
「それじゃあ、失礼しますね?」
瞬きも忘れて、ただキョーコを見つめる。蓮は、キョーコの動きの全てをしっかりとその双眸に焼きつけていた。
ケチャップの蓋を開き、蓮の目の前に置かれた黄色い卵で包まれた食べ物の上に描かれる、綺麗な形。
……それは、広大無辺を意味する形であり…そして、永遠に続くものを意味する……
「敦賀さんっ!?」
―――何、簡単なことだ―――
「敦賀さん、大丈夫ですか!?」
―――惚れた女に魔法をかけてもらうだけ―――
目に映っていたものがぼやけて見えなくなる。代わりに、脳裏に鮮やかに蘇るのは、『久遠』であった頃、唯一彼を気にかけてくれていた…兄のように慕っていた男の笑顔。
「……っ」
「敦賀さん……?」
頬を伝う温かなもの。瞬きも忘れた瞳から、次から次へと溢れ出て、流れゆく雫。
蓮は左手で右手首を握りしめる。…そこにあるのは、今も変わらずある『戒め』。右手首の腕時計に込めたものは……
―――忘れないよ、絶対に…―――
忘れては生きていけないものをはめ込んだ、重い重い…手枷。目を瞑れば、今も思い出す。進むことも戻ることもできず、身動きができなかった『あの日』の闇が見える。そして、それに陥るまでの…自身が犯した愚かしい『罪』までもが。
―――忘れる、わけがない…。―――
全てを破壊するために荒れすさんだ事も、いっそ砕けて消えてしまおうかと、生きる事さえ放棄した事も。
―――全ては、『俺自身』なのだから…―――
別人になりすまそうが、違う国で一からやり直そうが。…過去は何一つ持ち込まないと心に決めようが。
『クオン』として生きてきた全ての出来事は、全て『彼』に返り…そして、『彼』を育む糧となる。
「もがみさん……。」
「はっ、はいっ!!」
そして、『敦賀蓮』として生きてきた全ての出来事は…想いは、全て『彼』に返り…そして、『彼』を育む糧となるのだ。
面白おかしい社長との日々。孫娘のちょっと変わった少女との日々。…優秀なマネージャーと仕事をこなしてきた日々。
そして、今。…目の前にいる少女と出会い、過ごした日々……。
彼の瞳から零れ落ちる雫は、クオンが流したものであり…蓮が、流したものでもあった。そして、二つの『こころ』は、彼女のかけた魔法で溶け合い、初めて一つになる。
「俺は……」