「あぁ、そうだ。」
「?どうかしましたか?」
カラコロと、再び響く可愛い音。その音を心地よく聞きながら、俺は先ほどから考えていたことを口にする。
「今日は俺のこと、『敦賀さん』って呼ぶのは禁止。」
「え!?」
「だって、こんな姿なんだよ?『敦賀』って名字、なんか変だろう?」
「…はい…。」
「だろ?それに、この体格と『敦賀』で俺の正体に気づく人だっているかもしれない。…いつかの君みたいに、ね?」
俺が言ったのが『カイン・ヒール』のことだとすぐにわかったのだろう。彼女は「そうですね…」と小さく呟いた。…まぁ、俺としてはあんなこと、彼女以外にできないことだと思っているんだけれどね。
「え~~っと、…あの、そしたら、私は何とお呼びすれば…?」
「…そこって疑問に思うところかな…?」
名字がダメなら答えは一つしかないだろうに。どうして俺に確認する必要があるのだろう?
「え~~と…。じゃあ…。『先輩』!!」
「…………。」
最上さんの出した結論。あまりの答えに、俺は思わず再び足を止めてしまった。
「ふぅ~~~……。」
「えっ!?ダメ息!?えっ、えっ、ダメですか…!?」
「ダメ。」
俺は背後を振り返り、何が間違っているのかと慌てる彼女と視線を合わせるため、少し屈みこんだ。
「『蓮』。」
「ふぇ!?」
「だから、『蓮』って呼んで。」
「そっ、そそそ…そんな!!尊敬する大先輩をお名前でお呼びするだなんて恐れ多い……!!」
最上さんは高速で俺と繋がれていない左手と顔を横に振り続ける。
「今日は先輩も後輩もないだろう?一緒にオフの時間を楽しんでいるんだよ?遊びに行く時くらいいいじゃないか。」
「ダメです!!上下関係というものは常にあってしかるべきものです!!それが社会の摂理であります!!」
浴衣ゆえか、いつも以上にピンと伸びた背筋の彼女は、きっぱりと言った。
「…じゃあ、『コーン』。」
「へ?」
「『コーン』でいいよ。俺、君の妖精の王子様に似ているんだろ?」
あんぐりと、大口を開ける彼女。可愛いその表情に、思わず噴き出しながら、提案をしてみる。
「……それはもっとダメです。」
「え?なんで?」
「いくら似ていても『コーン』と敦賀さんは別人です。…他の人の名前を呼ばれるのは、役に入っている時だけで充分でしょう?敦賀さんには、オフの時間をちゃんと『敦賀さん』として過ごしてもらいたいんです。」
「…………。」
役者である俺達は、いつも何かの『役』であることが仕事だ。そもそも『敦賀蓮』という存在自体が俺にとっては役のようなもので……。
でも、彼女は『素の俺』でいることを望んでくれている。そして、その時間を共に過ごすことを了承してくれているのだ。
あぁ…君って子は、本当に……
「…じゃあ、やっぱり『蓮』って呼んで。」
「ふぇっ!?だっ、だから、あの……」
「オフの時間は『先輩』でもいたくないんだ。だから、『蓮』。これ以外は返事しないから。あぁ、それから俺は君のこと、『キョーコ』って呼ぶからね?分かった?」
言うだけ言うと、返事も聞かずに俺は彼女の手を引き、再び歩き始める。
「あっ、あの…!!」
「ほら、行くよ。もう電車も混んでくるはずだから。」
話は終わりとばかりに、呼びとめる声を出す最上さんを無視して俺は駅への道を急いだ。