―――言葉は、いらないと思った―――
口に出して現すことこそが最良だと、そう信じてきた俺にとって、この国のその言葉は、意味は分かっても『理解できる』ものではなかったけれど…。
でも。奥ゆかしい文化を持つこの国のそのしっとりとした、けれど凛と響く言葉の中に。…燃え上がる焔のように激しい想いがあることを…俺は身をもって理解した。
「…本当に、いいんですか…?」
「もちろん。君を一人で行かせるよりかはいいよ。」
懐中電灯を持って、歩く俺達。俺が彼女の少し先を歩き、エスコートしながら全く舗装のされていない、とても道とはいえない道を進んでいく。耳を澄ませば、川の流れる音が大分近くに響いてきていた。
「…本当に、申し訳ございません…。こんな夜遅くに付き合っていただいて…。」
「…まぁ、俺は別にいいけれど。そんなことより、夜中に女の子がたった一人で川辺に行こうとしていたことに、俺は怒っているんだよ?無防備もいい加減にしなさい。」
「はっ、はい…。すみません…。でも、どうしても行きたかったんです。」
しょんぼりとしながら、謝る彼女。…京都での今回のドラマ撮影。湿気の多い6月上旬の川辺での撮影の休憩中、彼女は何やら目をキラキラと輝かせ、物思いに耽っていた。…どうもその様子が気になって、撮影が終わった後も注意深く彼女を観察していた。そしたら、やっぱり彼女は20時を過ぎたころ、懐中電灯片手に宿泊している旅館をこっそりと抜け出そうとしていた。
呆れとその無防備さに対する怒りで、しっかりとお説教をして部屋に帰るようにと促す俺に、彼女は謝りながらも「部屋に帰る」という約束を、俺にしようとはしなかった。目を泳がせ、涙目になりながらも、頑なに外に出ようとするのだ。
…結局俺のほうが折れて、二人で外に出ることにしたのだが…。
「一体、何がしたかったの…?」
ふぅ、と呆れの溜息とともに吐き出したその質問に、彼女は「うっ…」と言葉を詰まらせる。
「…丁度、いい季節だったんです。」
「何が?」
「綺麗な水だったし、藻が生える、舗装をされていない川でしたし…。」
「うん、まぁ、そうだったけれど…。」
要領を得ない会話を続けていた俺達。そして、やっと昼間のロケ現場に辿り着く頃…。何かが、目の前を通った気がした。
「……?」
その正体が分からず、立ち止った俺。そんな俺の上着を、彼女がそっと引っ張った。
「敦賀さん、懐中電灯、消してください。」
「え……?」
「いいですから、早く。」
光源は、俺の持つ懐中電灯しかない。…なのに、彼女はそれを消せと要求してくるのだ。戸惑いながら、俺は彼女の言う通り明かりを消した。
「…真っ暗だ。」
途端に訪れる、闇。…真っ暗な世界の中、傍にいる彼女の息使いだけが俺が一人ではないという証となる…。
「敦賀さん。」
「…ん?」
「真っ暗なんかじゃ、ないですよ。」
―――ほら、見てください。対岸を。―――
彼女の声が暗闇の中、いつもより艶やかに、穏やかに、凛と響く。
彼女が促す、対岸の風景。そこに…何か、ふわりと光る仄かな明かりがある。静かに灯り、そして静かに消えるその物体。熱さを感じないその光は、不思議な色合いをしていて…。そんな光達が、1つ、2つ、3つ…と、俺の目に映り始める。
「…え?」
「ホタル、です。」
不思議な光に茫然とする俺。彼女は、そんな俺の腕を引き、なお川へと近づいていく。
「見てください、敦賀さん。たくさんいますよ……!!」
対岸だけだと思っていたその光が、俺達の間にもそっと光を灯し、通りすぎていく。そして、その光達は次々と増えていき…俺たちの周りを照らしだしていく。
「綺麗ですね、敦賀さん。」
そう言った、君。…闇の中、決して見ることの叶わなかった君の表情。それが、この不思議な光達の力によって、幻想的に浮かび上がる。
「あぁ…。本当に…」
綺麗だ、と続ける言葉は、口にできないまま俺の胸の中へと吸い込まれていく。
…その言葉は、俺の胸を焼くほどに激しい焔となり、全身が焼きつくされるような熱い痛みとなって身体の中をかけめぐる。
『恋に焦がれて鳴く蝉よりも、鳴かぬ蛍が身を焦がす…』
同時にふと浮かんだ、その言葉。日本語を勉強し始めたばかりの俺は、意味が分からず首をかしげた。そんな俺に、社長は『有名な都々逸だ』とにやりと笑って意味まで教えてくれた。
意味がわかったところで理解することのできなかったその言葉。…でも…。
「?どうか、しましたか?敦賀さん。」
「…………っ。」
言葉に、できない。想いが溢れて、高まる気持ちに、言葉がついていかなくて……。そして、言葉にならない想い達は、俺の内側へと逆流し、臓腑を焼き尽くすかのように身の内を焦がしていく。