そのニヒルな笑顔、それってひょっとすると。。。 | そこにいるだけで自分とまわりを癒すあり方とは

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意思の力では対応不能な感情への自分軸をつくるホリスティックヒーラー

人だったら感情をあらわにしてはいけない!
シャネルママの子供はなぜキレやすいのか?-67

そういわれれば、

確かに人前で感情的になって当り散らすようなことはよくないから、当然だとは思う。

でもどんなときもそうであるかというと。

無理に感情を抑えこんでしまったり、

我慢することが習慣になってしまえば、

積極性が失われてしまうこともある。

だから、こういったこともバランスなのでしょうけど。

「自分」に対しても素直さがなくなってしまうと、

人間関係上、いろんなところで摩擦が起こってしまうこともある。


たとえば

目の前にいるひとがニヒルにしていたら?

こちらの心に余裕があるときは、

いろんなことが客観視できて冷静な人なんだなぁ~なんて思えるかもしれません。

それでも余裕がなかったりしたら時と場合によっては、

同じ人の同じ表情でも自分のことが軽視されているなと腹が立ってくることもあります。

特に自分がその「正しさ」を主張したくなって「~べき」といったモードにあるときもそうでしょう。

自分が「べき」モードであるとき、

相手がニヒルにそしてフッとシニカルに笑み(冷笑や嘲笑うかのような態度)を浮かべたとしたら?

バカにするんじゃない!って気持ちになることもしばしば。

そこで相手の立場になってよ~く考えてみると

このニヒルな態度って、

バカにしているからそうなったと言えるかというと、そうとは限りらないということが見えてきます。


たとえば、

その相手が親や周りのひとが「べき」モードに入りやすく、そういった環境で育ったとしたら。。。


その親や周りのひと=「べき」モードに入りやすいヒトって、

押し付けがあったり、

強く主張をするとき感情的になったりします。

そんな人に対峙すれば、

それがあまりにも威圧的なので、

嫌がったり恐怖心を抱いたりするかもしれません。

そうなると面と向かって対峙するがとても辛くなるので、

自分の心を守るために一歩引いて傍観者であろうとしてしまうことがあります。

そうすると正直怖いのに自分に偽って、

強がって楽しむような表情をしてしまうんですね。

もちろん目は笑ってません。

だから、ちょっとバランスを欠いた笑いになるんですけど。

そうすると口では怒っていたり批難しているのに口が笑っているなんてことになって、

言っていることと表情が一致しないなんてことが起こってしまいます。

映画などでヤンキーやチンピラ同士が口論するとき、

ニヤケタ顔をして言い合うなんてシーンありますよね。

あれもある意味強がって(自分の恐怖を偽って)対峙しているんですけど。

そんな感じになってしまうと、

相手の感情を逆なでしてしまいます。

べきモードから距離を置くためにニヒルな笑顔や目が笑っていない笑顔をするんだけど。

その表情がかえって「ベき」モードを引き寄せてしまうのです。

自分に偽ると望まないものを引き寄せてしまう。。。

そうなると、なんともまあ皮肉な。。。。


べきモードにあるひとに対しては、

笑顔で返す「べき」ではありません。

それよりも一人の人間として関心を持って、

真摯な態度(真面目な顔)で対峙してほしいんです。



不安に思ったり、

怖く思ったとき、

無理に笑おうとするとちょっと厄介な状況に陥ります。

そのときの非言語のメッセージは、

思ったよりも周りの人に嫌な思いをさせてしまうことがあるからです。

感情が顔に出るのって恥ずかしいことのように思えますが、

感情に偽るのは、

時として誤ったメッセージを与えかねないので注意が必要です。

偽りの態度(この場合は怖くないという態度)や、

ポジティブであろうとして自分を偽ることは

真意(この場合は怖さ)を引き寄せてしまうことがあるんです。

自分に正直であることってそういうことなのかもしれませんね。


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